行きつけの中古レコード屋がレコード袋を変えた。
これまではたんなる無地の袋だったが、店名がプリントされ、イラストも入った。
嬉しくなる。
いつからこのレコード袋に変わったのだろう?
この前この店でレコードを買ったのは1カ月前か? あるいはもっと前か?
この店には、10年くらい通っている。
行きつけ、といいつつ店主と言葉を交わしたことはほとんどない。
さっと行って、さっと見て、欲しいモノがあれば買うし、無ければ手ぶらで帰る。
買うレコードといえば、安いモノばかりである。
私は決して上客では無いが、この店で買ったレコードジャケットが何枚も思い浮かぶ。
品揃えは、雑多、オールジャンルである。
専門店化をあえて拒んでいるのだろう。
「町のレコード屋」という気軽な雰囲気を保っている。
ロック、ジャズ、ブラック、レゲエ、ダンス系12インチ、歌謡曲、クラシックとなんでもありだ。
もちろん、CDもDVDもある。
店の外には、LPやシングル盤の100円均一箱が積まれている。
まるで古本屋みたいじゃないか。
ご主人は40歳前後くらいだろうか。
音楽の好みはどのへんなのか、気になり続けている。
見た目はいたって普通の青年である。
髪が長くもなければヒゲも無し、神経質そうでも豪快なかんじでもない。
ときどき常連さんと言葉を交わしていることがある。
気にしていない風をよそおいつつ聞き耳を立ててしまう。
それでも今のこところ、ご主人の音楽の好みや人柄はなかなか伺いしれない。
そうとうな曲者であることは間違いない。
もちろん良い意味で。
この時代に、ウェブサイトも作らずに「町の中古レコード屋」を続けているのだ。
音楽業界全体に景気の良い話がきかれない昨今、中古レコード屋を続けていくのは本当に大変なことだと思う。
そう、レコード袋のリニューアルだった。
今どき嬉しい話題ではないか。
こんな店がずっとあるということは、この店を支えている客がこの町には住んでいるということだ。
遠方からこの店だけをめざして来るような客は少ないと思う。
日常の買い物のついでにふらっと立ち寄り、CDなりレコードなりを買う人たちが、この町にはまだいるということではないか。
その意味で、この町にこの店あり、ということなのかもしれない。
この日も、熱心にクラシックのレコードをチェックしていたおじいさんが「これとっといてくれよ」と声をかけた。
「一銭も持たずに家でちゃってさ、すぐ持ってくるから」と。
構いませんよ、と気安い笑みを浮かべて店主は応えるのだった。
こういう店の存在は本当に貴重だ。
勇気がわくといったら言いすぎか。
町の中古レコード屋は、「文化」を発信しているんだから。
そうそう、この中古レコード屋は、学芸大学にある。
サテライトという。
この町には、他にも素敵な古本屋やオーディオショップがある。
びっくりするほどおいしいたいやき屋もある。
この日は「STUFF」のファーストを買った。
先日、ピーター・バラカンさんのラジオを聴いていたら、「名盤片面」というコーナーでこのアルバムを取り上げていた。
今でも頻繁に聴く1枚であると熱心に褒めていた。
私はフュージョンというジャンルに苦手感があるのだが、これはぜひ聴いてみようと思った。
このレコードは、持ったときから手応えが違っていた。
70年代中頃のアメリカ盤といえば、ジャケットもレコード盤もペラッペラなものが多い。
エネルギー危機、いわゆるオイルショックの影響だろう。
省エネという概念が生まれた時代である。
このレコードには重量感があった。
ジャケットの紙質も良いし、何よりレコード盤がずっしりとしている。
レコード盤の内溝には両面に「STERLING」の刻印が入っている。
ジャケット裏のクレジットはこうだ。
「Mastered at Sterling Sound by George Marino」
なかなかぶっとい音がする。
嬉しい。