「日本がテロに屈することは決してない」と首相は言った |
08:50 |
「イスラム国」と名乗る過激派組織に日本人が二名捕えられ、殺された。
この一連の事件により今私たち日本人の置かれている状況がはっきりしてきた。
「イスラム国」に日本は、「イスラム国」と敵対する国、として認識されている。
次の瞬間、自分のいる場所がテロの標的になるかもしれない。
どこかに安全な場所はあるのだろうか。
自分や家族に被害が及ぶかもしれない。
どこかにそんな恐怖を覚えながら日本で暮らす。
そんな日がやって来た。
日本人の殺害を受けて、安倍首相は「日本がテロに屈することは決してない」と言った。
「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるため、国際社会と連携していく」とも言った。
テロに屈しないとはどういうことだろう。
「テロに屈する」とは、身代金を支払うことなのだろうか。
先方の要求に応じることが、ただちに「テロに屈する」ことなのだろうか。
少なくともこの事件で、国際社会および「イスラム国」との間では、身代金を支払うことはテロに屈することであるという共通認識があることが分かった。
私は決して、身代金を払うべきだった、といいたいのではない。
どうすべきだったのか、私にはまったく分からない。
ただ、こんなことがもう起きないで欲しいと思っているだけだ。
誘拐や拉致、爆弾テロだって起きるかもしれない。
今回同様の、あるいはさらにひどい悲劇が起こるかもしれない。
不謹慎な想像だが、身代金が誰にでも払える金額だったとしたら、日本政府はどうするのだろう。
「彼をとりもどしたかったら日本政府が1ドルを届けにきなさい」などと言われたなら。
1ドルだろうと、身代金を支払うことがテロに屈することなのだとしたら、身代金が支払われることは無いということか。
身代金を支払うことはテロに屈することなのだろうか。
テロリストの要求に応えることがテロに屈することだとして、テロに屈することは「悪」なのだろうか。
テロと引き換えに失われる人の命とはなんだろうか。
何が正義で、何が悪なのだろうか。
私には分からない。
私には、ほんとうに、まったく、どう考えたら良いか分からない。
私は、世界に渦巻く憎悪の感情がただただ恐ろしい。
あるものは憎悪から過激な行動を起こし、あるものはその被害から憎悪をつのらせる。
そんな、感情の連鎖が恐ろしい。