MONOmonologueモノ(物→コレクション)とMONO(モノラルサウンド→レコード)をこよなく愛するオヤジの徒然日記。

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古書店にて 10:07

「なんだろう、あやしげな、ひび?」

古書店のおばちゃんは、私が差し出した本を手に取ってタイトルを読みあげた。
おばちゃんはカウンター越し、不思議そうにそう言った。
わざわざ声にまで出して。
お金を渡すと、裏表紙の値段を確認しながら、再び読み上げた。

「なんだろうあやしげなひび。ふうん」

おばちゃんにその本は、そうとうなインパクトを与えたらしい。
「で、いくらだっけ? ああそうそう200円のおつりね」だって。
今確認したばかりの値段すら意識から飛んでしまうくらい衝撃的なタイトルなのね(笑)。

「なんだろうあやしげな日々」の著者は、南陀楼綾繁と書いて、ナンダロウアヤシゲと読む。
彼のことを、知っている人は良く知っていて、知らない人はまったく知らないことだろう。
知っている人と知らない人の割合は、後者が圧倒することだろう。
南陀楼綾繁氏がなにしている人かといえば、ウィキペディアにはこう書かれている。


島根県出雲市出身の編集者、文筆家、蒐集家。本名は河上進。古書評論を得意とする。また、古書や本に関するイベント等を盛んに主催している。『季刊・本とコンピュータ』(トランスアート)誌の編集長をへて、現在はフリーの編集者。谷中、根津、千駄木の中心を通る「不忍通り」やそれに並行して走る小さな道には、個性的な新刊書店、古書店が多数存在していたことから、2005年「不忍ブックストリート」というプロジェクトを立ち上げ、現在、実行委員会・会員(他の会員は、往来堂書店、 古書ほうろう、オヨヨ書林、内澤旬子)。またそれと連動して、ブログ等で知合った市井の本好きたちが「ダンボール1箱」だけの本を持ち売り、古本として売るイベント「一箱古本市」も主催。


このペンネームの由来は、国立国会図書館に調べものにいき、昭和3年に刊行された「狂歌人名事典」の中でみつけたそうだ。
「いかめしく漢字が並んでいるのに、読み方を知ると脱力するというトコロが気に入って」この名前にしたのだそう。
南陀楼綾繁と書いて、ナンダロウアヤシゲ。
なるほど。

この本には、サインとともに著者をキャラクター化した「モクローくん」が直筆で描かれている。
このモクローくんを描いたのは、イラストルポライターの内澤旬子さん。
当時の奥様である。
いろいろ貴重な1冊である。

この本に引用されているこんな文章が印象に残った。
「幻の本」に出会った瞬間の心持ちである。


「有った! とうとう見付けた! 声にならない叫び! 金縛りとか、瘧(おこり)の症状とはこんな状態をいうのではないかと思った。突如体中に震えが来て、手を伸ばそうにも腕が動かない。震える手で支払いを済ませ、本を抱えて店を出たが、未だ足許がフラフラして、しゃがみ込んでしまいたいような気持ち」


こんな瞬間を私はまだ知らない。





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タモリと私 06:44

タモリと私は誕生日が同じです。
小学校のころ、同じ誕生日の芸能人を調べたところ、それを知りました。
当時タモリと誕生日が同じなのはぜんぜん嬉しいことではなかったです。
むしろ、まいったな、という感じでした。
ポマードてかてかで真ん中分けの妙な芸人と同じ誕生日だなんて友達にはとても言えませんでした。
「ボクはあのアイドルと同じ誕生日なんだ」などと友達が言ってるのを聞いて羨ましく思ったものです。

美大受験のためのデッサン塾で知り合った友達がタモリで盛り上がっていて、美大を目指すような人は変わってるな、と思ったものでした。

その後、20代後半になって興味が出てきました。
ジャス喫茶ベーシーのマスターが書いた本にさらりと登場していたり、植草甚一のレコードコレクションをごっそり引き取ったことを知ったり、オーディオや料理が趣味だったりといったエピソードを知ったことが大きいです。
その後、タモリ倶楽部の面白さをしり、ミュージックステーションで他の歌番組には出ないミュージシャンを見てはさすがと思い、ぶらタモリは実にタモさんらしい企画だなあなどと感心するようになりました。
そう、ちょっとしたファンになっていたのです。

かつてタモリの家の近くに住んでいたことがありました。
ご近所どうしだったという訳です。
顔を合わせたことはありませんでしたが。
ちいさかった娘を自転車に乗せて保育園へと送るとき、タモリの家の前を通っていました。
それは濃紺のタイル張りの素敵な家なのです。
意外とこじんまりしているなあと思っていたら、あるとき隣家もつながっていることに気が付きました。
なるほどさすがはタモさんちだ、と納得したものです。

私にはお宅にお邪魔してみたい有名人が何人かいます。
タモリを筆頭に、山下達郎、小西康陽、なぎら健壱といった方々です。
もちろん無理でしょうけれど。

いま「タモリ論」が話題です。
書店で「サイン本」にひかれて買ってしまいました。
サインとは、当然タモリのサインではありません。
初刷りだと思って奥付をみたらすでに5刷でビックリしました。





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じいじの戦争、ばあばの戦争 22:44

子どものころの夏休みは、神奈川県の逗子で過ごすのが恒例だった。
母親の両親、つまり私のじいじとばあばがリタイヤしてそれまでの上野の家を引き払って逗子に住んでいた。
じいじとばあばの家は、鎌倉駅と逗子駅の間にある、丘の上の新興住宅街にあった。
あの家には俳優さんが住んでいる、なんてことを聞いた憶えもある。
高級住宅街とはいわないが、そんな場所だったらしい。
じいじばあばの家から丘をのぼり、てっぺんを越えた向こう側に行くと鎌倉市街が一望できた。
右のほうに鶴岡八幡宮の森が見えて、左のほうがぐるっと海だった。
海の先のほうに江ノ島があって、天気の良い日には富士山が小さく見えた。
鎌倉の花火の夜には、このくだり坂にはぎっしり人が詰めかけた。

その丘をくだって中学校の横を通ってお寺の脇をすり抜けると海水浴場がある。
「材木座海岸」という。
ダサイ名前だなあと思っていた。
ザイモクザというところがなんとも田舎くさい響きに思われた。
ズシという地名も私にとってはマイナーで、学校の友達には「鎌倉のほうへ家族でいく」と言っていた。
きっと逗子なんて知らないだろう、と。

逗子での一日はこんな感じだった。
朝ごはんを食べたら歩いて海へ。
午前中いっぱい海で遊び、いちど帰ってお昼を食べ、そのあと昼寝して、また三時くらいから海で遊ぶ。
帰ってお風呂に入って、晩ご飯を5時半くらいに食べたらばたんきゅう。
そんな風に夏の数日間を逗子で過ごしていた。

やけど並みに真っ赤に日焼けしたものだった。
夜、背中がじんじんして眠れなくて腹這いになって寝た。
数日の後、だんだん痒くなってきてそのうちちいさな水ぶくれができてくる。
水が抜けると今度は皮がむけてくる。
風呂上がりなどピーっと皮をむいたものだ。
その頃には全身きれいに日焼けしていた。

海へ行く下りの山肌には穴がいくつもあいていた。
穴は縦横1.5メートルくらいの大きさだった。
そんな穴が10メートルおきに1つくらい、多いところでは数メートル間隔であった。
穴のほとんどは入り口がふさがれていた。
ときどきそのまま穴があいているところもあったが、そんな穴には材木などがぎっしり積め込まれていた。
中がどんな風になっているか興味津々だったが、奥の方は暗くてうかがいしれなかった。
いつ崩れるか分からないから入っちゃダメだよ、ときつく言われた。
遊びに入って閉じ込められた子もいた、なんて言っていたけれど、あれは方便だったと今は思う。

「あれは防空壕だよ」
海からの帰り道、ばあばがそう教えてくれた。
「戦争のころ、アメリカの飛行機が飛んできてこの辺にも爆弾を落としたんだ。この辺の人はあの穴に入って隠れたんだって」
戦争は、白黒の映像でしか知らない世界だった。
その映像に音はついていなかった。
「ばあばはそのころ東京に住んでいて、あなたお母さんはまだ赤ちゃんで、東京にもたくさん爆弾を落とされて大変だったんだよ」
ばあばは戦争を東京で体験していた。

逗子に行くお盆の頃には、テレビでも新聞でも戦争の特集をたくさんやっていた。
ご飯のときにじいじはときどき戦争の話をした。
じいじが戦争の話をするのはいつも夜だった。
朝や昼、明るい時間に聞いたおぼえがない。

はげ上がったじいじのあたまの、おでこの上のあたりには、はっきり分かるくぼみがあった。
「ここんとこに爆弾のカケラがささってね、頭の骨がわれちゃたんだ」
けがのせいで助かった、とじいじは言った。
戦局が悪化する中、頭に大けがをしたので無事戻ってくることができたのだ。
あのまま怪我をしなかったら大和や武蔵に乗ってたかもしれないな、とぼそっとこぼしていた。
じいじは海軍にいた。
上官がとにかく怖かったそうだ。
「案外軍隊では自殺者が多くてね、敵と戦う前に死んじゃう人も多かった」

逗子での夏の記憶は、戦争と分ちがたく結びついている。
普段見慣れたものも、逗子ではいつもと違う影をもっていた。
強い日差し、真っ青な空、入道雲、蝉の鳴き声。
そんなすべてが特別な影を持っていた。
古い時代、戦争の時代につながるような非日常的なものも逗子にはたくさんあった。
冷たい井戸水、羽釜で炊いたごはん、薪で沸かした風呂。
逗子の家には、普通の風呂とともに土間に薪風呂があった。
かまどはさすがになかったが、ガス台に羽釜を載せて炊いていた。
そんなささいことも戦争時代につながるものとして私の中に記憶されている。
そういえば、湘南サナトリウム、というバス停が近くにあった。
街への行き帰りはこのバス停を利用した。
結核の療養所だったと説明されても結核を知らなかった。
不治の病だったんだと言われれば、それもまた恐ろしいのだった。
バス停からは、生い茂る森しか見えなかったし、サナトリウムという言葉の響きもなんだか怖かった。
逗子マリーナも近くにあったが、そのまわりだけは不思議に立派で南国風だった。
白亜のマンションが海辺にそびえていた。
まわりには柵が張り巡らされてはいることができなかった。
柵の向こうにはプールがあって、ヨットが停泊していて、そこには戦争の影は一切感じられなかった。
その中へは入れないんだよ、とじいじは言った。

じいじと一緒に薪風呂の湯を沸かす手伝いをしたことを覚えている。
薪割りをして火をつけて、「湯加減いかがですかァ?」と入っている人に声をかけた。
こどもにはそれもじゅうぶんに遊びだった。
もちろん自分も薪の風呂に入った。
湯がかなり熱くなっていて、ぬるくしてとお願いしても、そんなことしたら沸かしなおさなきゃいけないんだよ、とうめてはくれなかった。

じいじは趣味人だった。
家を囲む石垣は大谷石で、コンクリート打ちっぱなしの平屋だった。
庭にはじいじの手づくりの池があって、立派なコイが泳いでいた。
家の玄関を入ると、じいじばあばんち独特のにおいがした。
家のどこにいても、日のあたらない影の部分があるようで不思議な印象の家だった。
この逗子の家はじいじが亡くなってしばらくして処分されてしまった。
あの家は壊されてもうない。


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おやすみの日 16:06

平日の昼間、ディスクユニオンへ行った。
ジェイムス・テイラーのレコードとアイダのCDを買った。
ジェイムス・テイラーのスウィート・ベイビー・ジェイムスは、ずっと国内盤で愛聴してきた大好きなレコードだ。
買ったのは、シュリンク付き、歌詞カード付きのアメリカ初回盤。
スウィート・ベイビー・ジェイムスは決して珍しいレコードではない。
いつでも買えるからそのうち買おう、と今日まで思い続けていた。
アイダの「マイ・フェア、マイ・ダーク EP」もそうだ。
そのうち買おうと思っていた。
このCDは中古だとおもったら未開封の新品だった。
ラッキー。

家に帰り、スウィート・ベイビー・ジェイムスのレコード盤を丁寧に磨いた。
かつての所有者はタバコを吸う人だったらしい。
モノ・クリーナーのA液でワイパーを取り替えながら数回磨いてもまだ茶色くなるほどだった。
きれいになるまで繰り返し、B液で仕上げ乾燥させて、聴いた。

  Blossoms smile some sunshine down on my
  Lately I've been lonesome blossom
  It's been much to long aday
  It seems my dreams have frozen
  Melt my cares away
    JAMES TYLOR "BLOSSOM"

なんて素敵な小品だろう。


このあとは、明るいうちからひとりで、お気に入りのもつ焼き屋でいっぱいやろう。
会社帰りの人たちで混む前にさっと引き上げよう。
そのあとは?

そんなことを考えながら、休みの日の宵の口をのんびり過ごそうじゃないか。




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