休日の午後、外出しようとする私に妻が声をかけてきた。
「パトロールに行くの?」
「ああ。パトロールに行ってくる。夕飯までには戻る」
私はひきしまった表情で自転車に乗りペダルを深く踏み込む。
街の平和を守るため、私は時間を見つけてパトロールにでかける。
「危険物」との出会いに想いをはせる。
「今日もいい出会いがあると良いが」とちいさくつぶやきながら。
「パトロール」とは、近所を見回ることである。
近所とは、徒歩や自転車で無理なく行ける範囲のことである。
「パトロール」という言葉には、私たち夫婦だけに通じる意味がある。
電車に乗って同じことをしても、それを「パトロール」とは呼ばない。
私がパトロールする場所はだいたい決まっている。
ルートも順番も、おおよそは決まっている。
日によって、フルコースでまわることもあれば、1・2箇所で切り上げることもある。
私にとって重要なのはパトロールの質である。
満足のいくパトロールもあれば、不満が残るパトロールもある。
パトロールは、その日の街の状況次第であり、その状況は自分でコントロールできるモノではない。
最初に立ち寄ったポイントで満足することができれば、さっとその時点で引き上げることもある。
満足度が、自分の感情に影響を受けることもある。
「もういいか」と思える基準はその日の気分による、ということだ。
何の話だろうか。
そう、「パトロール」の話である。
パトロールとは、私の近所の、古レコード屋、古本屋をまわることである。
近所の古レコード屋、古本屋をまわってパトロールし「危険物」を回収することだ。
街の平和を守るため私は日々パトロールを欠かさないのだ。
「危険物」とは?
長嶋有「パラレル」文藝春秋社
今回も街には「危険物」が散見された。
例えばこんなホットな危険物が古本屋の棚にまぎれていた。
これでは危なくてしょうがない。
それらをただちに私が回収した。
近隣住人への被害を最小限に防ぐことができたというものだ。
「嬉しい」
「危険物」のすべてを私ひとりで回収することは不可能ではある。
しかし微力ながら、日々貢献させていただいている。
誰かのお役に立てるだなんて、喜びもひとしおである。
良い買い物ができた。