MONOmonologueモノ(物→コレクション)とMONO(モノラルサウンド→レコード)をこよなく愛するオヤジの徒然日記。

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ぬりえ 09:21

電車に乗る。
都心から反対方向へ向かう電車の中は、通勤時間でもほどよくすいている。
空席を見つけてするりと座る。
シートの暖房が心地良い。
体の芯の冷たい空気がふうっと抜けていくような気持良さだ。

となりの女性がスマートフォンをせわしなくさわっている。
OL風の若い女の子だ。
彼女の肘がときどき私にあたる。
そんなにいきおいよくタップしなくても、と思う。
オンラインゲームでもやっているのだろうか。
私の肘がこんな風にあなたにあたったら、どんな反応をするだろう。

車内を見回せば、三分の一くらいの人がケータイやスマートフォンをさわっている。
向かいのおじさんも、そのとなりの高校生も、手に持った小さな画面をじっと見つめている。
ゲーム? ツイッター? メール? ネット?
みな一体何をしているのだろう。

モバイルツールが普及しだした頃、電車などでノートパソコンやケータイをカチカチやっているサラリーマンを見て私は同情していた。
そんなに忙しいんだかわいそうに、と思っていた。
実際忙しく仕事をしている人もいたのだろうけれど、多くの人はたいしたことをしていないことを知り、それはそれでビックリした。
なんでそこまでモバイルツールをさわる必要があるのか、と。

スマートフォンをさわり続ける人たちを見ながら、私はぼんやりと考える。
「暇つぶし」
たぶん、そうなのだろう。
暇だから時間をつぶしているのだろう。
ゲームをしたり、ツイッターをしたり、メールをしたり、ネットをみたり。
なにかみたいだ、と思う。

なんだろう?

しばらく考えて、ぬりえみたいだ、と思う。
まっ白い紙に黒い輪郭線が描かれているあれだ。
図形だったり、乗りものだったり、人物や動物だったりが線のみで描かれている。
輪郭線の間を、色鉛筆やクレヨンやマジックを使って塗っていく。

スマートフォンはまるでぬりえのようだ。
ぽっかり空いた隙間の時間に、せっせと色を塗る。
電車の中で、駅前で、カフェで、暇な時間、まっ白な時間を塗りつぶす。
赤? 黄色? 緑?
ぬりえは次第にカラフルな色がつけられていく。

郊外へ向かう電車に座って、そんなことをぼんやりと考えている。
多摩川を渡るとき、河川敷のグランドで大学生だろうか、ラクロスをしていた。
遠くにはまっ白な富士山が見えた。



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| ESSAY | comments(8) | trackbacks(0) | posted by mono-mono
パトロール 10:53

休日の午後、外出しようとする私に妻が声をかけてきた。
「パトロールに行くの?」
「ああ。パトロールに行ってくる。夕飯までには戻る」
私はひきしまった表情で自転車に乗りペダルを深く踏み込む。
街の平和を守るため、私は時間を見つけてパトロールにでかける。
「危険物」との出会いに想いをはせる。
「今日もいい出会いがあると良いが」とちいさくつぶやきながら。

「パトロール」とは、近所を見回ることである。
近所とは、徒歩や自転車で無理なく行ける範囲のことである。
「パトロール」という言葉には、私たち夫婦だけに通じる意味がある。
電車に乗って同じことをしても、それを「パトロール」とは呼ばない。

私がパトロールする場所はだいたい決まっている。
ルートも順番も、おおよそは決まっている。
日によって、フルコースでまわることもあれば、1・2箇所で切り上げることもある。
私にとって重要なのはパトロールの質である。
満足のいくパトロールもあれば、不満が残るパトロールもある。
パトロールは、その日の街の状況次第であり、その状況は自分でコントロールできるモノではない。
最初に立ち寄ったポイントで満足することができれば、さっとその時点で引き上げることもある。
満足度が、自分の感情に影響を受けることもある。
「もういいか」と思える基準はその日の気分による、ということだ。

何の話だろうか。
そう、「パトロール」の話である。

パトロールとは、私の近所の、古レコード屋、古本屋をまわることである。
近所の古レコード屋、古本屋をまわってパトロールし「危険物」を回収することだ。
街の平和を守るため私は日々パトロールを欠かさないのだ。
「危険物」とは?

  長嶋有「パラレル」文藝春秋社

今回も街には「危険物」が散見された。
例えばこんなホットな危険物が古本屋の棚にまぎれていた。
これでは危なくてしょうがない。
それらをただちに私が回収した。
近隣住人への被害を最小限に防ぐことができたというものだ。

「嬉しい」

「危険物」のすべてを私ひとりで回収することは不可能ではある。
しかし微力ながら、日々貢献させていただいている。
誰かのお役に立てるだなんて、喜びもひとしおである。

良い買い物ができた。



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わたしはそれを必要としている 09:12


世の中には、文学を必要とする人間と必要としない人間がいる。誤解なきように一言書き添えておけば、作家と呼ばれる人間が、すべて、文学を必要としているわけではない。文学を必要としていないのに、作家になってしまう(なろうとする)人もいる。いや、むしろ、今は、その手の人物が多すぎる。もちろん、それは文学的教養のあるなしではない。例えば深沢七郎は文学を必要とした人間であり、それゆえ彼は、必然的に作家になった。


最近出会い、深く感銘を受けた文章である。
このままで素晴らしい文章なのだが、いくつかの単語を他に置き換えてみるとよりふに落ちる。
「文学」を「音楽」に、そして「作家」を「ミュージシャン」に置き換えてみてほしい。
するとこうなる。


世の中には、音楽を必要とする人間と必要としない人間がいる。誤解なきようにひと言書き添えておけば、ミュージシャンと呼ばれる人間が、すべて、音楽を必要としているわけではない。音楽を必要としていないのに、ミュージシャンになってしまう(なろうとする)人もいる。いや、むしろ、今は、その手の人物が多すぎる。もちろん、それは音楽的教養のあるなしではない。例えば深沢七郎は音楽を必要とした人間であり、それゆえ彼は、必然的にミュージシャンになった。


ええと、深沢七郎のところはどうしよう。
誰に置き換えようか。
(良い案がありましたらコメントからどうぞ:笑)

「音楽」だけなく、「芸術」や「デザイン」に置き換えてみても良い。
私が好きなのは、止むに止まれず何かに取り組んでいる人なのだ。
「全身小説家」という古いドキュメント映画があるけれど、そのタイトルにひっかけて言うならば、私は「全身音楽家」が好きだ。
好きで好きでしょうがなくって、それがなければどうにもならないくらいに感じている人。
その結果、そのようにしか生きられない人、つまり「本気の人」。

歌手を「アーティスト」とひとまとめに呼ぶのが好きではない。
アーティストとはごく一部の優れた人たちのことを、他人がそう呼ぶ言葉なのではないか。
かつてジョン・レノンが、解散したビートルズのことを、「とてつもなく有名になった、たんなるロックンロールバンドさ」と言っていた。
みんなはいろいろ言うけれど自分はただロックンローラーさ、というのが本心なんだろう。
そんな彼はアーティストと呼ぶにふさわしい人である。

私は、いくら良い曲を作って歌う人でも仕事と割り切っているような人にはあまり興味が持てない。
音楽的でない日常がすけて見える、いわゆる「アーティスト」がいる。
ラジオでヒット曲を聴くにはそれで十分なのだけれど。

しかしそんな姿勢は私のような会社員だけで十分じゃないか、と思ってしまう(笑)。


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