MONOmonologueモノ(物→コレクション)とMONO(モノラルサウンド→レコード)をこよなく愛するオヤジの徒然日記。

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クリスマスアルバムの行方 08:52


クリスマスが終わった。
ちびたちへ希望したプレゼントをそれらしく渡すことができた。
いやあ娘の欲しがったDSソフト「ドウモリ」は妻が相当苦労して入手した。
新しい「ドウモリ」って、大変な人気らしい。
大学生がみんなやってるってくらいスゴイことになっているらしい。
本当かな?

クリスマスは近年、11月から12月25日当日までの約2カ月である、といって過言ではない。
知らないうちに定着した感のあるハロウィーンが終われば、クリスマスが始まる。
その間、テレビCMで、ラジオで、街角で、あるいはケータイの呼び出し音などでクリスマスソングをたびたび耳にすることになる。
正直言って耳にタコである。
うっかり手持ちのクリスマスアルバムを聴くことすら思い浮かばないほどである。

それはクリスマス当日25日のことだった。
今こそクリスマスアルバムを聴かねば、という義務感から、手持ちのクリスマスアルバムを次々聴いていった。
その中の1枚、スフィアン・スティーヴンスのクリスマスアルバム(5枚組!)を聴いて、その流れで彼の名前をネット検索してみたのだった。
「sufjan stevens」と。
すると、彼の第2弾クリスマスアルバム「Silver & Gold」が11月にリリースされていたことを知った。
この続編も前作同様CD5枚組みというボリューム!
まったく、スフィアンってやつは…(最高だ!:笑)。
早速注文し、翌日(26日)手にしたのだった。

いわゆるクリスマスアルバムはクリスマスが終われば次のクリスマスまでしまい込まれ、聴かれないのが普通ではないだろうか。
一年に数度、クリスマスだけに聴かれるわけだ。
しかし、スフィアンの前作はオリジナル曲中心のクリスマスアルバムだったこともあり、通年聴ける傑作アルバムとして聴くことができる。

で、近作は?
期待はいやがおうにも高まった。

パッケージを開けてびっくり!
CD5枚はもちろんだが、その他のおまけが盛りだくさんで、これでもかってくらい入ってた。
ジャケットサイズのステッカーとタトゥシールが各5枚、分厚いブックレットにA3くらいのポスター。
スゲッ(笑)。

そして音楽はというと、今作は、定番なスタンダードナンバーが多めで、ちょっとクリスマス以外には聴きにくいかもしれない。
出来はかなり素晴らしいのだが日常的に聴くにはちょっとクリスマスっぽすぎる、ということだ。
それ以外は「ミシガン」や「イリノイ」の頃のカラフルさに、最近の作風であるダークなエレポップを追加、といったスフィアン節全開な仕上がり。
でも、定番のクリスマスソングをクリスマス以外の時期に聴くのはどうしても抵抗がある。
だっていくら素晴らしい作品だからといって、フィル・スペクターのクリスマスアルバムを1年中聴くのはなあって誰でも思うところではないか(笑)。

とはいえひとまず、この5枚組全58曲のクリスマスアルバムをクリスマスが過ぎてもヘヴィローテーションで聴きまくっている。
いやあ、傑作だ。
いつまでこの調子で聴けるかなあ、と思う今日この頃である。
年越えられることは間違いない、と思う。






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あらゆることがすごいスピードで過ぎていく 09:38


気がつけは年末だ。
あっという間の1年だった。
いろんなことがあり、いろんなことを思った。
その意味ではいたって普通の年だった。


楽しいこともあったし辛いこともあった。
また、あんなことやこんなことに思い悩んだ1年だった。
具体的には言わないけれど(笑)。

あらゆることがすごいスピードで過ぎていく。
多くのことは置き去りにされたまま通過していく。
瑣末なことはただちに忘れられ思い出されることもない。
少し前にこんなニュースがあった。


タレントたちが自身のブログで、あるオークションサイトで落札したものを記事に書いていた、という。
驚くほど安く手に入れることができたよ、と。
しかしそのオークションサイトでは、入札しても商品を手に入れることはできないという詐欺行為を行っていたということが発覚したのだ。
そして、タレントたちのブログ記事のほとんどは落札事実の無い架空のもので、知人などにたのまれるままに記事にしていた、というニュースだった。
私は、なんとまああきれたことだ、と思った。
どうしようもない人達だな、と思った。


その翌日だっただろうか。
その事件に関するあるタレントのコメントに目を開かれた。
彼はこうコメントしていた。
「法に触れてたらダメですが」と前置きした上で、「私も含めて、タレントなんか所詮そんなもんです。『宣伝したらお金をくれる』と聞けば宣伝するんです」と。


私たちは、非常に無邪気に広告を楽しんでいる。
満面の笑みで商品を紹介するタレントをぼんやりと見ている。
そこに現れるタレント達を、広告に登場している事実で評価したりもする。
「高感度ランキング」とか「CMの女王」などという言葉に、へえとかほおとか思う。
しかしながら一方で、タレントが本気でその商品を薦めているとは思っていない。
いいギャラもらっているんだろうな、と羨んだりもする。
そう彼等が、たいして知りもしない会社の、好きでもない商品を、お金と引き換えに、他人に薦めていることを知っている。


オークションサイトの架空の落札記事を書いていたタレントは何か特殊なことをしていたのだろうか。
詐欺行為が行われていたことを知っていたなら話は異なるが、一体彼らを責められるのだろうか?


「タレントなんか所詮そんなもんです」


コマーシャリズムに対して私たちはもっと意識的にならなければならないのだろう。



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網走刑務所で朝食を 13:38

トルーマン・カポーティ著、村上春樹訳、「ティファニーで朝食を」を読んでいる。
読みながら思い浮かべるホリー・ゴライトリーのビジュアルイメージは、オードリー・ヘップバーンである。
そしてホリー・ゴライトリーのしゃべる声は、ヘップバーンの吹き替え声優、池田昌子である。
そう、あまりにも映画版「ティファニーで朝食を」の印象が強すぎるのだ。

あとがきで村上春樹はこう語っている。


「ティファニーで朝食を」というタイトルを耳にして、多くの人々が思い浮かべるのは、映画に主演したオードリー・ヘップバーンの顔と、ジヴァンシーのシックな黒いドレスと、ヘンリー・マンシー二の作曲した印象的なサウンドトラックではあるまいか。

そして、「これは小説にとっていささか迷惑なことかもしれない」と続ける。


作者トルーマン・カポーティは明らかにホリー・ゴライトリーをオードリー・ヘップバーンのようなタイプの女性としては設定していないからだ。カポーティはヘップバーンが映画に主演すると聞いて、少なからず不快感を表したと伝えられている。おそらくホリーの持っている型破りの奔放さや、性的解放性、潔いいかがわしさみたいなところが、この女優には本来備わっていないと思ったのだろう。
(中略)
映画と比較してとやかく言うのはもうやめよう。ただ僕が言いたいのは、できることなら映画からはなるべく離れたところで、この物語を読んで楽しんでいただきたいということである。


なるほど、村上氏の言いたいことはわかった。
できることなら私もそのように読みたい。
しかし、難しい。


彼女はサングラスをかけたまま、机の上に書籍を砦のように積み上げていた。そしてそれを片っ端から読み飛ばしていった。時折あるページの上に視線がとどまったが、その眉間にはしわが寄せられていた。まるで上下が逆さまに印刷された本を読んでいるみたいに見える。彼女は鉛筆を紙の上にかざしていた。そこに書かれているものにとくに気持ちが引かれている風でもなかったが、それでも折に触れて彼女は妙に念入りに何かを紙に書きつけた。

例えばこんなシーンを読んでみると、おおぶりのサングラスをかけて頭にスカーフを巻き、トレンチコートなんかを羽織ったヘップバーンが浮かんでしまう。
これはどうにも仕方がない。
なので、無理にヘップバーンから離れよう離れようとして読み進めることはもう諦めた。

でもなあ…(笑)


ご覧の通り、この本にはある団体の蔵書票が貼り付けられている。
よくみればなんと、網走刑務所と書いてある。
よりによってこの本は網走刑務所からやって来たのである。
ではどのようにして網走刑務所から持ち出されたのだろうか、という疑問がうかぶ。

蔵書票の下半分、「廃棄・宅下げ」欄に何らかの記入があれば問題ないのだろうが、あいにくそこは空欄のままである。
かつて網走刑務所は「日本で一番脱獄が困難な刑務所」といわれ、犯罪者に恐れられたそうだ。
現在は容易なのだろうか。
まさか(笑)。

しかし「網走刑務所」と村上春樹訳「ティファニーで朝食を」とは妙な取り合わせである。
イメージとしては対極にあるといって間違いないだろう。
網走刑務所には女性も収容されている、ということなら少し理解しやすくなるのだが、どうだろう。

私はこの本に網走刑務所の蔵書票が貼り付けられていたから買ったのである。
あるいはこの蔵書票はいたづらなのだろうか?


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テイク・ファイヴ 10:59

ジャズのはじまりはたぶんテイク・ファイヴだった。
その曲は、テレビからいきなり流れてきた。
「なにこれ、カッコいい!」

その頃私は中学生だった。
すでにロックに夢中になっていた。
つまずくような印象的なリズムと不思議に異国風なメロディが突然流れだした。
アリナミンかなにかのCMにテイク・ファイヴが使われていた。

「なつかしいなあ」
父がぽつりと言った。
尋ねると、デイブ・ブルーベックさ、と父は言った。
「これがモダンさ。モダン・ジャズだよ」

私にとって、これがジャズについてのもっとも古い記憶である。
さっそく図書館でテイク・ファイヴの入ったカセットテープを借りて聞いた。
そのオムニバスアルバムをダビングして何度も聴いた。
てっきり、この曲のメロディを演奏しているのがデイブ・ブルーベックだと思っていたが、その間違いを知るのはずっと後のことだ。

そういえば当時父はこうも言っていた。
「この曲のこのメロディを、くちぶえで吹ければたいしたもんだ」と。
リズムとるのもけっこう難しいんだよ、と。
試してみると、確かにぜんぜん吹けなかった。

いまなら少しくらいは、それらしくくちぶえをふけるようになった。


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何にもしないで生きていらんねぇ 08:53

ECDの「何にもしないで生きていらんねぇ」を読んだ。
ECDとは、日本のヒップ・ホップ黎明期から活動を続けるラッパーだ。
この本を読んで、音楽を聴きだした頃の衝動やいろんな想いがこみ上げてきた。
なつかしかったり、ハっとしたり、そうそう私はロックにこんなことを期待していたんだ、とかいろいろ。
かつて私の中にあって今ではすっかり忘れてしまっていたなにか、が刺激されたようだ。

ECDは徹底的な個人主義者で、徹底的に反権力である。
凄い。
格好良い。

でも、人のことを、「凄い」「格好良い」なんて羨んでばかりいられない。
そんなことを痛烈に感じてしまった。
私だって「格好良く」なりたい。
格好良く生きるには、何かと正面から闘わなきゃいけないんだ、きっと。


「何にもしないで生きていらんねぇ」の、こんな言葉に私はグッときた。


僕は今でも週に2回はレコード屋に行く。中一の頃からずっとだからもう35年になる。それだけレコード屋に通いつめていると、中古盤のエサ箱を漁っていても、見たことのないレコードに出会うことはまれだ。知らず知らずのうちにジャケットを記憶してしまったレコードは膨大な数にのぼる。そのほとんどを僕はまだ聴いていない。悲しいことにそんな聴いたことはないけれど見たことはあるレコードは、目にしたり手に取ったりする機会が増えれば増えるほど実際に聴いてみようという興味は薄れてゆく。ジャケも内容も未知のレコードのほうが冒険して買ってみようという気になる。

自分が好きだったジャンルの音楽をある日聴かなくなる、ということがある。時には聴いていたことを自分の恥部のように隠してしまうこともある。そういう場合、聴かなくなったのも人目を気にしてのことだったりする。そのジャンルの音楽に飽きたわけでも嫌いになったわけでもない。そのジャンルの音楽を聴いていることを公言できなくなるのだ。悲しい話である。(中略)その頃を境に僕はヘヴィ・メタルのレコードを買わなくなった。

「こうしちゃいれらない!」。これが初期衝動の出発点だとすれば、76年〜77年にかけて、セックス・ピストルズは世界中の若者をそんな気分にさせてしまった。そしてピストルズに触発された彼ら彼女達は、楽器の弾き方を覚えるのも時間が惜しいとばかりにとにかくヘタでもいいから音を出そうとした。変な話、ピストルズはそこそこ上手いバンドだ。だから、彼ら彼女達はピストルズのコピーすらしようとしなかったし、できもしなかっただろう。そんなやぶれかぶれなバンド達が世界中に産まれていると想像するといてもたってもいられない気分だった。まぁ、ロンドンやニューヨークから東京に届く音は一応、それなりの商品として成立するものにはなっていた。とにかくヘタでどうしようもないというウワサだったサブウェイ・セクトやスリッツも届いた音楽はマトモな音楽に聞こえた。僕はもっとヒドい物が聞きたかった。

もはやTV全体がなにかしら隠された意味を持つ政府公報にしか見えない。というか、僕はもう、TVをそんな風にしか観れなくなってしまった。逆に言えば、TVを観ていると権力が何をしたいのか実によくわかる。その手に乗るもんか、と思うのである。

僕は最近よく目にする「反貧困」というスローガンを支持しない。僕は世間に流布される勝ち組だけが幸福で負け組はひとり残らず不幸だという迷信を信じない。でっちあげられた貧困への恐怖は、人々を必要以上に働かせ、必要以上に消費させるだけだ。最低限の生活の中に幸福を求めようとする者がことごとく『蟹工船』のような過酷な環境に追いやられるわけではない。それは今も昔も変わらないと思う。貧乏人が増えて困るのは、そのために税収が減る支配する側の人間だ。「反貧困」は支配者にとってこそ、都合のよい言葉なのだ。僕たちは貧困を手放すべきではない。

僕はガキと不良が大嫌いだ。何をしても世の中から大目に見てもらって当然だと思っている。それがガキだ。大人になってもガキなのが不良だ。そしてあいつらがヤンチャするのは大目に見てもらえる間だけだ。二十歳になったらまともになるとか言って、ちゃっかり、卒業しやがる。まれに卒業しないのがいて、そういうのはヤクザや芸能人や右翼になる。ヤクザも芸能人も右翼も嫌いだ。なんだかんだ言っても権力とうまくやるからだ。
「ロックは不良の音楽だ」などと言われる。大間違いだ。不良=ヤンキーは、いつの時代も多数派であり、世の中の主流で強者である。つい、この間も、76年〜77年のロンドンのパンクスを日本の暴走族みたいなものだなんてことを書いていた人がいたがまったく違うと思う。日本でパンクに呼応したのは暴走族に代表される、ヤンキー層=不良ではなかった。ロンドンのことは知らないが、日本に関してはそう断言できる。(中略)
「不良じゃなくて不良品」。イルドーザー・阿部周平の名言である。そう、パンクスは不良じゃなくて不良品なのだ。だから二十歳になったからって、卒業なんかしない。マトモになりたくてもその能力がない。

音楽ですら、それが金になる、つまり、食うためにする価値のあることになってしまうと、労働として、マジメにツマらなくやらなければイケナイかのように思わされてしまうことがある。まだ金にならないうちからでも、それで食うことを目指しただけでも、もうそこで、音楽は労働に姿を変えてしまう。練習スタヂオでそんなバンドを見かけることがある。全員イレズミだらけなのに妙に規律正しくて、上下関係なんかもキビしそうで…まあそれは想像でしかないか、いや、そうでもない。実際にメンバーがキビしく叱る声を聞いたこともある。とにかく、全員シカメっ面をしていてちっとも楽しそうじゃない。悲壮感だけが頼りなのだろうか。大きなお世話かもしれないが楽しくないんだったら音楽なんてやめてしまえと思う。(中略)確かに現実にはどうやっても苦痛にしか感じられない仕事、作業、労働というのはある。しかし、なにもよりによって音楽をそんなものにすることはないだろうと強く思う。



あらためて抜き出したらけっこうな分量になってしまった(笑)。
そのくらいドカンときた本だった。








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