私は「大人への憧れ」に突き動かされてきた。
大人への憧れは、十代の頃、音楽への興味からはじまった。
憧れのミュージシャンが目標となった。
あんな大人になりたい、そんなことを考えるようになった。
歳を重ねるごとに聴く音楽の幅も広がり、憧れの大人像も多様になった。
しかし今もなお、「大人への憧れ」に私の日常は支えられている。
四十を越えてもなお、大人に憧れているのだ。
十代の頃、音楽といえばロックだった。
ほとんどが洋楽だった。
海外ミュージシャンは圧倒的に格好良くみえた。
金髪、革ジャン、ジーンズにごついブーツ。
周囲に憧れの対象となるような大人はなかなかいなかった。
一方で、地方都市に暮らす少年の知っている世界はとても狭かった。
通っている学校とその周辺、そこに関係する少しばかりの人たちくらいの世界だった。
ロックを聴いている先生というそれだけで尊敬する、そんな世界だった。
ロックそれ自体はもちろんのこと、ロックを聴くためのレコード、物としての「レコード」、レコードを聴くという行為、それらも痺れるほど格好良く見えた。
月に1枚、せいぜい2枚のレコードを買うのがやっとだった。
レコードを買って、レコード袋をさげて帰る道のりは、欲しかったレコードを手にいれた嬉しさとともに、レコードを持って歩いているという行為自体に酔っていた。
ショーウィンドウに映る、レコードを持っている自分の姿を横目で確認しては、こみ上げる笑みをかみ殺していた。
音楽はただそれ自体で存在しているのではなかった。
音楽とそれにまつわる世界すべて、つまりそれはライフスタイル、つまり生き方を表していた。
興味は音楽以外へも広がっていった。
ライフスタイル。
それは例えば、タバコであった。
パッケージから1本のタバコを抜き出して口にくわえ火をつけフウと吐き出す。
流れるように一連の動作で行われる、タバコを吸うという行為。
タバコがありライターがありそれを扱う人がいる光景。
ドラマや映画の喫煙シーンに釘付けになったものだ。
初めてのタバコは小学生の頃、父親のすい差しをふかしてみるところからだった。
その後は高学生の頃、人気のない自動販売機でタバコを買って、人気のないことを確かめておそるおそる火をつけた。
頭がしびれてくらくらした。
コンビになんてない時代、ライターはどうやって手にいれたんだろう。
その後は、鏡の前でタバコの吸い方を研究したり、マッチで格好良く火をつける練習をしてみたり、新品のジッポライターをこなれた風合いに見せるため細かい番手のサンドペーパーで磨いてみたりしたものだった。
ずっと前にタバコはやめてしまったけれど、あの頃たばこに憧れた気持ちは今でも思い出すことができる。
私が憧れた大人のライフスタイルはつまり、そんなディテールの積み重ねだった。
レコードを聴き、タバコを吸い、コーヒーをブラックで飲むとか、そんないちいちが格好良く見えた。
私はそんな憧れを積み上げて成長してきたのだ。
そして私は今でも大人に憧れている。
一人で居酒屋の暖簾をくぐる、とかね。
私が憧れの大人になるにはまだまだ時間がかかるようだ。
テレビ東京の深夜番組「孤独のグルメSeason2」がはじまった。
あれは大人っぽくて大好き(笑)。