ずっと私はレコードを買っている。
いっときCDがメインになったこともあるが、ずっとレコードを買い続けている。
中学生の頃から暇さえあれば中古レコード屋へ通う生活である。
考えてみればもう30年になる。
30年とはずいぶん長いな(笑)。
30年とは、月に換算すれば360カ月である。
月に1枚のレコードを買ったとして360枚である。
それだって相当な数である。
しかし、それ以上のレコードがわが家にはある。
どのくらいかは分からない。
知らないし、知りたくない。
月5枚買ったとして1800枚か。
もっとあるような気がする(笑)
そんなにたくさんレコードがあってどのくらい聴くのか、とあなたは思うかもしれない。
もっともな疑問である。
答えはとてもシンプルである。
聴くレコードはひんぱんに聴くし、聴かないレコードはまったく聴かない。
つまらない答えかもしれない。
当たり前な答えである。
好きな音楽は繰り返し聴くし、好きでない音楽は聴かない、ということだ。
レコードは、好きな音楽を聴くためにある。
だから、好きではない音楽をわざわざ聴くことはしない。
しかし、「聴かないレコード」イコール「好きでないレコード」ではない。
聴かないレコードにもいろいろある、ということだ。
自分のレコード棚から、目をつぶって1枚抜き出してみる。
手にしたレコードについて私はいろいろと説明することができるだろう。
アーティストについて、そのアルバムについて、この曲が好きでね、などとという風に。
つまりレコード棚には私の好きなレコード、つまり好きな音楽が詰まっているということだ。
30年かけて手元に集まったレコードから、好きな音楽が凝縮されレコード棚に並べられている。
そう、これまでに買ったレコードのすべてを所有し棚に並べているのではない。
買ったものの気に入らず処分したレコードも多い。
そのようにしてレコードコレクションはその質を凝縮していくのだ。
新たに買ったレコードが気に入ればレコード棚に収納されることになる。
レコード棚に1枚追加するということは、ストックへと移さざるを得ないレコードが1枚発生する、ということだ。
レコード棚のスペースは限られているから、追加するためにストックへ移されるレコードが生まれてしまう。
迷った末にストックへと移されるレコードを私は嫌いな訳ではない。
仕方なく移さなければいけないのだ。
このようにして、私のレコード棚は新陳代謝を繰り返している。
レコード棚は生きているのだ。
好きなレコードでもストックへ移さざるを得ない、ということが起きることを述べた。
好きなレコードが少しずつ増えていくということが問題なのである。
好きなレコードとの出会いを求めて、私はレコードを買い続けているのだ。
限られたレコードの収納スペースは埋め尽くされ、ストックも増えていく。
手の届く範囲にあるのは好きなレコードばかりである。
ストックも好きなレコードばかりである。
それらをすべて私は聴くのか。
無理である。
好きなレコードの中でも相当好きなレコードしか聴いていない。
収納スペースも限られているが、レコードを聴く時間も限られている以上仕方のない問題だ。
レコードを持っていて、大好きなのに聴かないレコードも相当数ある、ということだ。
大好きなのに、しばらく聴かないうちに聴くレコードリストから外れてしまうということも生じる。
大好きなレコードを記憶するにも限界がある、ということだ。
厳選されたレコード棚のレコードですらそうなってしまうのだ。
大好きなのに聴かないレコードは増えていく。
しかし私はレコードを買う。
なんて貪欲なんだろうと自分でも呆れる。
写真は、私の手元にある「聴けないレコード」の1枚である。
「聴かない」のではなく、「聴けない」のだ。
このレコードは、ジャギジャギのキズが両面にあるため、針が飛んでしまい聴けないレコードなのだ。
オークションで落札し、届いたらこの状態だった。
頭にきた。
こんなコンディションのレコードをぬけぬけと出品しやがって!
念のためオークションページを確認したら、きちんと「ヒドい状態」だと書かれていた(笑)。
どうりで入札するライバルがいなかった訳だ。
トホホ。
しかし、このレコード、キズがなくても聴かないレコードかもしれない。
どうやら大変な珍盤らしい。
ア〜ア。
<参考情報>
ART BLAKEY
ORGY IN RHYTHM VOLUME 1
(BLUE NOTE RECORDS, BLP1554)
47 WEST 63rd. NEW YORK 23
コーティングジャケット、深溝、耳アリ、Rナシ、手描きRVG
でも聴けない(笑)。