MONOmonologueモノ(物→コレクション)とMONO(モノラルサウンド→レコード)をこよなく愛するオヤジの徒然日記。

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「ぼくとジムランの酒とバラの日々」サードエディション(サイン入り) 00:05

20年近く前になるだろうか。
実家に帰省したおり、本棚に『ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 ぼくとジムランの酒とバラの日々』という見たのとのない本があった。
暇だったのでぱらぱら読んでみた。
それは私が少しジャズに興味をおぼえ、レコードを聴きだした頃のことだった。

ジャズはかじりだした程度で、オーディオにはほとんどまったく興味がなかった。
著者の菅原正二さんのことも、彼のお店ジャズ喫茶ベイシーのこともまったく知らなかった。
ジャズ喫茶ベイシーが「日本一音の良いジャズ喫茶」といわれてもその意味が分からなかった。
そんな私でも、『ジャズ喫茶「ベイシーの」選択』は面白かった。
こんな音楽の楽しみ方やレコードの聴き方があるのか、と驚いた。
レコード盤こと、レコードの録音のこと、再生するオーディオ装置のことなど知らないことばかりだった。
例えば、スピーカーは、箱とスピーカーユニットなどで構成されていて、それらは自由に組み合わせることが出来るなんてことは、この本ではじめて知った。
JBLという音響メーカーの名前は知っていたが、その名前がメーカーを設立したエンジニアの頭文字だったなんてことも知らなかった。
この本のすべてに圧倒された。
この本の行間から、音楽の新たな風景を垣間見てしまったのだ。
その、ちらっと見える風景に魅了され、憧れてしまった。
そしてこのような一文に出会う時、この本が単なる好事家の戯れ言でないことを知る。
レコードや音楽、オーディオを通して見える世界には果てしない奥行きがあることに驚いた。


ぼくだっていまさら歩いて東京まで行く気はしない。新幹線に乗る。東北新幹線に初めて乗って東京に行った時、正直いってぼくはそのスピードに感激した。今ではもう慣れた。もっと速くならないかとさえ思っている。便利になった感激に人は慣れやすい。


この本には魅力的なモノクロ写真も多数載っていた。
ラックに積まれたたくさんのオーディオ機器。
それらの多くは一体何に使うのかも分からない機器だった。
なぜ同じ個体がたくさん並んでいるのか不思議だった。
しかし、そのどれもがたいへんに美しかった。
信じられないくらい大きなスピーカーの佇まいにも圧倒された。
そこに写る、見たこともないたくさんのレコードを聴いてみたいと思った。

しばらくして『ジャズ喫茶「ベイシーの」選択』が講談社文庫に入った。
早速購入し何度も読んだ。
あきずに写真を眺めた。
読むたびに書かれていることの意味がすこしずつ分かるようになった。
それがうれしかった。

そして、一昨年の2010年にこの新装版が出た。
タイトルも、副題だった『ぼくとジムランの酒とバラの日々』となった。
単行本から文庫化され、ペイパーバック風の軽装版が出たのだ。
つまり『ぼくとジムランの酒とバラの日々』にはサードエディションまでが存在する。
サードエディションは、これまでと同じ内容だと思っていた。
今回入手してみてはじめて、写真がすべてなくなっていることを知った。

新装版のファッショナブルな装丁はどんな読者をイメージしているのだろう。
これまでの硬派なジャズファン、オーディオファンでないことは確かだろう。
本文もとても読みやすく組まれている。
それは良い。
しかし、あの美しいヴィンテージJBLの写真の数々をカットしてしまったのがなにしろもったいない。
巻末にカラーで、カウントベイシーのリリースしたレコード会社別にレコードのセンターレーベル写真が掲載されている。
これはこれで楽しいが、これまでの写真があってこそ、この新装版の価値が上がると思うのだ。

では、すでに文庫で持っていて、新装版に興味のなかった私が、どうしてこの本を買ったのか。
それはサインが入っていたからである。

扉に赤ボールペンで、「SWIFTY」と書かれている。
「SWIFTY」とは、著者である菅原正二さんのニックネームである。
そのニックネームは、店名の由来であるジャズ・レジェンド、カウント・ベイシー本人に付けられたニックネームなのである。
これを古書店でみつけた疑り深い私は、本物のサインかどうか迷いに迷った。
このサインが本物かニセモノか、確かめようがないのである。

さあ困った。

本を一度棚に戻し、店内をぐるりと回って考えた。
買うべきか買わざるべきかそれが問題だ。
再び棚の前に戻って手に取った。
もう一度サインを眺めてみても答えは出ない。
ぱらぱらページをめくってみた。
そしたら店名がエンボスされているのを見つけた。
写真左にある通り、おそらくはオリジナルのエンボス器がベイシーにはあるのだろう。
店名とアドレスが浮き出している。
市販本には決してないページだ。
これで決まりだった。
エンボスを見つけた自分を誉めてあげたい(笑)。
「SWIFTY」のサインがいよいよカッコ良く見えてくる。

なお、父の持っているベイシーで買った単行本にもサインが入ってる。
こちらは漢字で縦書きだ。
メッセージも入っている。
それはそれで羨ましい。

この週末三日間で私は、四人の直筆サインを入手した。
この菅原正二さんのサイン本は予想外の「おまけ」であった。
おそらく自分でこの記録を破ることは出来ないだろう。
超ラッキー(笑)。






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この週末、たくさんのサインをもらった 14:46

この週末は自分史上最も充実した「サイン会ウィークエンド」だった。
なにしろ三日間で三人から直筆サインを頂いたのだ。
左から、片岡義男、小西康陽、ベン・クウェラー(わが家での通称はベン君)。
三人のうちひとりがアメリカ人ミュージシャンだなんて。
こんなことはあとにも先にも絶対にないだろう。

リビングのカレンダーにはこのサイン会の予定を大きく書き込んでいた。
娘が「いよいよ明日だね」とか「今日はベン君のサイン会だね」とか「ベン君どうだった? サイン見せてよ」なんて一緒に楽しんでくれた。
ベン君の新作CD「GO FLY A KITE」はヘヴィローテーション中なので、かけると娘が口ずむようになった。
歌なんかふだん絶対に歌わない息子も口ずさんでいる。
これには驚いた。
ベン君の新作は、ちび達も口ずさむ傑作ということなので皆様も是非。

ベン君のサイン会には、先立ってミニライブがあって、新作からの3曲と1stから1曲の計4曲が歌われた。
ドラムこそタンバリンに置き換えられていたけれど、レギュラーバンドでの楽しいライブだった。
コーラスワークが素晴らしい「FULL CIRCLE」が聴けたのがなによりうれしかった。

片岡義男、小西康陽、両氏のトークライブは予想以上に盛況であった。
会場は8割男性という印象でこれはちょっと意外だった。
片岡氏の語る独特の世界観を小西氏が受け流すという絶妙な関係。
「素晴らしい」と小西氏は何回言ったことだろう。
著書で取り上げられているレコードが聴けて、ジャケットが見れて、ほんとに素晴らしいトークライブだった。
会場が混み合っていてお二人を直接見ることが出来なかったので後半は目をつぶって聴いていた。
音声だけだとまるでラジオのようだ(笑)。
そうかラジオの公開放送とやってることは同じだ、とすぐに気が付いた。

こちらのサイン会では、私の直前でサインをもらった人が、片岡氏の文庫本をささっと取り出して一緒にサインをもらっていた。
ああ、私もこの間やっとのことで入手した「10セントの意識革命」を持ってこうと思っていたのだが…忘れてしまった(涙)。
「サインはイベント対象本にのみ」ってイベントチケットに書いてあったしさあ…。
一応バックに入れとけば良かったって、残念でくやしくって…。
家に帰ってずっとぼやいてたら妻と娘にあきれられた。

しかしサイン会って直接会えるのだから何か気の利いたことを言おう、といろいろ悩んで考えていた。
列に並んでだんだん順番が近づいて緊張して、結局何も言えないという残念な結果になってしまった。


空前絶後のサイン会ウィークエンドには、「おまけ」がついた。
その話はまた次回。





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不便の発明 22:35

便利さとはどういうことなのだろうか考えた。
「便利になること」とは結局、新たな道具を手にいれることなのではないか。
それまで、困ったり大変だったり出来なかったことが出来るようになること。
見たこともない新たな道具によって、日常のそれらが解決することなのではないだろうか。

新たな道具を手に入れ使う。
それによって生活が変わる。
それまでよりもずっと便利になる。
新しい道具に驚き、その便利さに喜ぶ。
手に入れて毎日使う。
その状態が当たり前になる。
つまり日常化する。
新たな道具は、見慣れた日用道具になる。
毎日の生活に欠かせない道具になる。

数十年前まで、遠くにいる家族や親戚、知人と言葉を交わす方法はなかった。
離れた場所にいる人の声を聞くことは出来なかった。
そこで、はがき、手紙を送った。
相手の姿を頭の中に想い描き、想いを文字に置き換えて綴った。
もらった人は、文字や絵を見て、書いた人のことを想った。
文字と文字の隙間を、想像力で補った。
急を要する連絡はごく限られた距離の範囲内でしか成立しなかった。
人はその状態を当たり前のこととして受け入れていた。
それまでの不便さは、ごく普通のことだった。

電話が出来た。
音声において物理的な距離は縮まった。
姿が見えない遠くの人の声を、言葉が発せられたと同時に聞くことが出来るようになった。
その人が隣にいるかのように言葉を交わすことが出来るようになった。
電話線は張り巡らされ会話の出来る範囲は広がった。
隣町でも、地球の裏側でも会話が出来るようになった。
急を要する連絡も、遠くの人にもただちに伝えることが出来るようになった。
それはたったの60年ほど前のことだ。

家に置かれていた電話機は、ポケットの中の携帯電話に置き換わった。
電話線はこの20年であっという間に電波に置き換えられたのだ。
電話は持ち歩くことが可能になった。
いつでもどこでも誰とでも、思ったときに話が出来るようになった。
電車に乗ってあたりをぐるりと見回せば、多くの人はケータイやスマホを手に画面を眺めている。
ぼんやり眺めている人、食い入るように見つめる人、画面をせわしなくタッチする人。
かつての車内では新聞、雑誌、本だったのではないか。
そのほとんどはケータイ、スマホに置き換わった。
ケータイは電話以外の機能、カメラや時計、計算機など多様な機能を有するようになった。
スマホとなれば、ほとんどコンピュータである。
電話機能をもったPCである。

ある道具が発明され、普及したとき、その道具によってもたらされる便利さは「当たり前」のことになる。
便利さは、あっという間に「普通」の状態になる。
ある道具の使用を前提とした、当たり前に普通な状態は、その道具のない不便さを含んでいる。
不便さとは、例えば電話のない暮らしである。
電話のない生活はこの上なく不便な生活なのだ。
ほんの少し前までは、当たり前の状態が、この上なく不便な状態になったのだ。

ケータイ、スマホを忘れて家を出て絶望的な気持ちになる人も考える人も増えているという。
その人は、ケータイがないと日常生活を送ることすらままならない、と感じるからだ。
つまり電話の発明は、電話のない生活の不便さを生み出した。
発明は便利を生む一方で、不便をも生み出すのだ。
こんな風に、日々不便は発明されている。



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目、目、目 09:44

ホームに滑り込んできた通勤時間の車内は、いつものように混んでいた。
でも、いつもとどこかが違っていた。
何かがおかしい。
開いた扉の向こうに目がたくさんあった。
一瞬ぎょっとした。
目はキラキラと輝いてこちらを見ている。
少し低い位置、大人の胸の高さの位置にあるたくさんの目。
好奇心に輝いた、目、目、目。

こどもたちの目だった。
先生に引率された小学生が、通勤ラッシュの電車に混ざっていた。
学校の指示だろう、みんながマスクをしていた。
そのため、目の部分が際立っていた。
それらの目は語っていた。
これが満員電車かあ、通勤ラッシュってこんなかあ、ぎゅうっぎゅうだあ、と。
目は一様にうれしそうに笑って輝いていた。

車内の、大人と大人の間に頭ひとつ分の空間がぽっかり空いている。
電車でおしゃべりはしないように、などと注意されているのだろう、となり同士目を見合わせてほほ笑みあっている。
好奇心に輝いた目が無言で笑っている。
一緒の車内でこちらもなんだか楽しくなってきた。
他の大人も同じように感じているようだ。
いつもは殺伐とした通勤電車の中があたたかい空気に満たされていた。
みんなが無言で微笑んでいた。






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『僕らのヒットパレード』を読んだ 10:29

『僕らのヒットパレード』は、B6変形版という、手にぴったりおさまる気持ち良いサイズの本である。
平野甲賀の装丁は、見れば見るほど味わい深い。
なにもしていないように思わせて、ここにはきっとたくさんの「素敵」につながる秘密があるに違いない。
そういえば「レコードコレクター紳士録」という本の表紙もハイファイレコードの店内だった、などということを思い出す。
あちらはファイア通りにあった旧店舗、こちらは明治通り沿いにある現店舗。

全290ページ。
読みだせばあっという間に読み終えてしまう。
しかし、ここはあえてじっくり読もうではないか。
普段なら、面白い本は面白さに身をまかせて一息に読んでしまう。
でもがんばって、一文字一文字を噛みしめるように読んでみよう。
がんばらないと文字をつぎつぎ目でおってページをどんどん進んでしまう。
どんどん読み進めたい気持ちをぐっと押さえつけ文字に目を凝らす。
なんとかがんばって、それでも残念ながらすでに読み終えてしまった。
しかし今、最初から再び読んでいる。
およそ半分進んでしまった。

これがどんな本なのか、どんな風に面白いのか、と問われたなら、二人の対談部分を紹介しようと思う。
片岡義男のこんな発言におもわず笑ってしまう。

どのくらい引き上げて、戻すの? 僕はこのくらい。三センチほど持ち上げると、もう買うか買わないか、決めることが出来る。いまは二センチに挑戦してる。


もしあなたがレコードを買いに行った経験があるならば、微笑まずにはいられない発言だろう。
レコードをたった三センチ引き上げただけで買うか買わないかを決めることが出来るなんて、ね(笑)。
レコードの達人だと驚く人、そんな出鱈目なと笑い飛ばす人もいるだろう。

現在の自分のすぐ内側に、その自分が高校生だった頃という、つい昨日のような過去がある。過去は消えていない。それどころか、自分の過去は現在の自分そのものではないか。現在とその延長としてのこれから先、というものだけにとらわれていると、人はほとんどの場合、過去をなきものにしてしまう。過去を葬れば、現在が道連れにされる。その単純明快な事実に気付かない人が、なんと多いことか。


そして片岡義男のこんな言葉がある。
私はこれを、すらりと読んで、すらりと進んでしまうことが出来ない。
ここで語られていることは何だろう、と考える。
ページをめくる手をとめて、文字から目を離してみる。
ここで心によぎる感情を無視しては、あまりにもったいないではないか。

小西康陽はあとがきでこう語っている。
この本はつまり、そういうことなんだ。

片岡さんのレコードの対する好奇心、あるいはレコードを通して過去の事象を見たり感じたりする作法は、自分の知っている他のレコードコレクターには見られない、独特のものだ。
片岡さんのレコードの愛し方を、ぼくは自分の友人であるレコードコレクターの連中に知ってもらいたい、と思った。そして自分も片岡さんのようにレコードを楽しむ方法を学びたい、盗みたい、と考えた。







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