20年近く前になるだろうか。
実家に帰省したおり、本棚に『ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 ぼくとジムランの酒とバラの日々』という見たのとのない本があった。
暇だったのでぱらぱら読んでみた。
それは私が少しジャズに興味をおぼえ、レコードを聴きだした頃のことだった。
ジャズはかじりだした程度で、オーディオにはほとんどまったく興味がなかった。
著者の菅原正二さんのことも、彼のお店ジャズ喫茶ベイシーのこともまったく知らなかった。
ジャズ喫茶ベイシーが「日本一音の良いジャズ喫茶」といわれてもその意味が分からなかった。
そんな私でも、『ジャズ喫茶「ベイシーの」選択』は面白かった。
こんな音楽の楽しみ方やレコードの聴き方があるのか、と驚いた。
レコード盤こと、レコードの録音のこと、再生するオーディオ装置のことなど知らないことばかりだった。
例えば、スピーカーは、箱とスピーカーユニットなどで構成されていて、それらは自由に組み合わせることが出来るなんてことは、この本ではじめて知った。
JBLという音響メーカーの名前は知っていたが、その名前がメーカーを設立したエンジニアの頭文字だったなんてことも知らなかった。
この本のすべてに圧倒された。
この本の行間から、音楽の新たな風景を垣間見てしまったのだ。
その、ちらっと見える風景に魅了され、憧れてしまった。
そしてこのような一文に出会う時、この本が単なる好事家の戯れ言でないことを知る。
レコードや音楽、オーディオを通して見える世界には果てしない奥行きがあることに驚いた。
ぼくだっていまさら歩いて東京まで行く気はしない。新幹線に乗る。東北新幹線に初めて乗って東京に行った時、正直いってぼくはそのスピードに感激した。今ではもう慣れた。もっと速くならないかとさえ思っている。便利になった感激に人は慣れやすい。
この本には魅力的なモノクロ写真も多数載っていた。
ラックに積まれたたくさんのオーディオ機器。
それらの多くは一体何に使うのかも分からない機器だった。
なぜ同じ個体がたくさん並んでいるのか不思議だった。
しかし、そのどれもがたいへんに美しかった。
信じられないくらい大きなスピーカーの佇まいにも圧倒された。
そこに写る、見たこともないたくさんのレコードを聴いてみたいと思った。
しばらくして『ジャズ喫茶「ベイシーの」選択』が講談社文庫に入った。
早速購入し何度も読んだ。
あきずに写真を眺めた。
読むたびに書かれていることの意味がすこしずつ分かるようになった。
それがうれしかった。
そして、一昨年の2010年にこの新装版が出た。
タイトルも、副題だった『ぼくとジムランの酒とバラの日々』となった。
単行本から文庫化され、ペイパーバック風の軽装版が出たのだ。
つまり『ぼくとジムランの酒とバラの日々』にはサードエディションまでが存在する。
サードエディションは、これまでと同じ内容だと思っていた。
今回入手してみてはじめて、写真がすべてなくなっていることを知った。
新装版のファッショナブルな装丁はどんな読者をイメージしているのだろう。
これまでの硬派なジャズファン、オーディオファンでないことは確かだろう。
本文もとても読みやすく組まれている。
それは良い。
しかし、あの美しいヴィンテージJBLの写真の数々をカットしてしまったのがなにしろもったいない。
巻末にカラーで、カウントベイシーのリリースしたレコード会社別にレコードのセンターレーベル写真が掲載されている。
これはこれで楽しいが、これまでの写真があってこそ、この新装版の価値が上がると思うのだ。
では、すでに文庫で持っていて、新装版に興味のなかった私が、どうしてこの本を買ったのか。
それはサインが入っていたからである。
扉に赤ボールペンで、「SWIFTY」と書かれている。
「SWIFTY」とは、著者である菅原正二さんのニックネームである。
そのニックネームは、店名の由来であるジャズ・レジェンド、カウント・ベイシー本人に付けられたニックネームなのである。
これを古書店でみつけた疑り深い私は、本物のサインかどうか迷いに迷った。
このサインが本物かニセモノか、確かめようがないのである。
さあ困った。
本を一度棚に戻し、店内をぐるりと回って考えた。
買うべきか買わざるべきかそれが問題だ。
再び棚の前に戻って手に取った。
もう一度サインを眺めてみても答えは出ない。
ぱらぱらページをめくってみた。
そしたら店名がエンボスされているのを見つけた。
写真左にある通り、おそらくはオリジナルのエンボス器がベイシーにはあるのだろう。
店名とアドレスが浮き出している。
市販本には決してないページだ。
これで決まりだった。
エンボスを見つけた自分を誉めてあげたい(笑)。
「SWIFTY」のサインがいよいよカッコ良く見えてくる。
なお、父の持っているベイシーで買った単行本にもサインが入ってる。
こちらは漢字で縦書きだ。
メッセージも入っている。
それはそれで羨ましい。
この週末三日間で私は、四人の直筆サインを入手した。
この菅原正二さんのサイン本は予想外の「おまけ」であった。
おそらく自分でこの記録を破ることは出来ないだろう。
超ラッキー(笑)。