例えば、役所へ何かの手続をしなきゃいけないとか、やっかいな人にやっかいな何かを頼まなければいけないような、ちょっとしたプレッシャーのかかるような仕事の場合。
急いでやる必要がなかったりすると、面倒くさがって先延ばしにして、やだなあやだなあなんて思っていると、必要以上に億劫になってしまうことがある。
これって案外ストレスなのである。
頭の片隅に居座って、ずるずると時間が経って、ずいぶん先だと思っていた締め切り近くになって焦る。
しかし、重い腰を上げて、えいやっとやってみたら思いのほかスムーズに片付いてしまった。
なんだそんなことならさっさとかかっていれば良かった、と軽く後悔したりする。
同じようなことに対する精神的なハードルが一気に下がって、その後は臆する事無くさっさと片付けられるようになる。
そんなことがたまにある。
少し時間が経つと、また同じようにちょっとしたプレッシャーに対して必要以上に反応してしまう。
これの繰り返し。
今回紹介するのは、またもやカウント・ベイシーのレコードである。
またもやというからには、前回があり、その前回とは
このとき のことである。
このときはつまり、パブロというレコードレーベルについて、ジャケットデザインでずいぶん損しているのではないか、という意見を申し上げた。
カウント・ベイシーの素晴らしいレコードを、あやうくヒドいジャケットデザインのせいで聞き逃すところだった、ということを書いたのだ。
COUNT BASIE : KANSAS CITY 5 (PABLO 2312-126)
基本的にはKANSAS CITY 3とおなじジャケットデザインである。
KANSAS CITY 3から、タイトルを入れ替えて、メンバー表記を入れ替えて、ポートレイト写真を入れ替えればいっちょうあがり。
それだけのデザイン。
前回は購入をためらい、悩んだあげく思い切って買ってみたのであるが、音楽も録音も素晴らしいことが分かった。
だから今回は躊躇無く購入することにしたのである。
このデザインに対する精神的なハードルが一気に下がったという訳だ。
このジャケットの構成要素は、タイトル、メンバー、ポートレイト写真の3つである。
タイトル表記やメンバー表記のフォントの選択、地模様とその配色。
個別に見ればそれほどヒドくはないが、その構成要素のひとつひとつにちょっとした洒落っ気が混入している。
その洒落っ気の積み重ねが全体としてヒドいデザインにつながっていくという負の連鎖が見受けられる。
ポートレート写真の選択については、ハテナがいくつあっても足りない。
ノーマン・グランツあるいはベイシーにとって想い出深い1枚であって欲しい。
ベイシーの視線の先には、誰か大事な人がいる、とかね。
このポートレイトに何の意味も無かったら悲しすぎるではないか。
このジャケットを見て、まったくデザイン的工夫をしなければ良いのに、と思うのはおそらく誤りであろう。
良くなるどころか一層悪くなる場合も十分にあるのだ。
素っ気なくなり過ぎて、まったく購買意欲が起きないというジャケットも多数存在している。
「シンプル・イズ・ベスト」と言うのは簡単だが、「シンプル・イズ・ベスト」を実現するためには高度な技術が求められる。
かようにデザインは難しい。
パブロのベイシーは、ジャケット以外、演奏も録音も最高に素晴らしい。
今あるジャズを作り上げたといって過言ではないミュージシャンたちの、円熟した演奏がこれでもかと楽しむことが出来る。
このレコードでも、ジョー・パスがまるでバーニー・ケッセルのように楽しくスウィングしている。
ミルト・ジャクソンが楽しくて仕方が無いとばかりにノリノリのプレイを聴かせてくれる。
スコールコンボでの「ONE O'CLOCK JUMP」における御大の軽々としたノリは、何百回演奏したであろうこの曲に新たな楽しみを見いだしていることが分かる。
なんだろう、この初々しさは!
ベテランミュージシャンの決して出しゃばりすぎない控えめなくらいの洒落っ気。
この連続が有機的に絡み合い、とても楽しいレコードになっている。
ジャケットとは大違いだ(笑)。
アマゾンを見て驚いた。
なんと、KANSAS CITYには、3、5、7だけじゃなく、6、8もある!
これは楽しみだ。
こつこつ集めていこうではないか。
そうそう、このパブロのセンターレーベルは初めてみたけれど、悪くない。
っていうか、好き。
収穫だね!(笑)