かつて、私のボキャブラリーに「カワイイ」という言葉は無かった。
しかし今はある。
今の私は、ペンギンの描かれたレコードジャケットを見て「カワイイ」と思う。
かつてならただ、「良い」あるいは「カッコいい」と思ったことだろう。
私の人生では「カワイイ」をかたくなに拒んできたといって過言ではない。
女性が「カワイイ♡」と言っているのを聞くのもあまり好きではなかったし、ましてや男が「カワイイ」なんて言うなどもってのほかだった。
なぜ、私は「カワイイ」が駄目だったのだろうか。
「カワイイ」で定義される世界と、「カワイイ」で語られ共有される世界観が、私にとっては格好悪く思われた。
「カワイイ」で表現される世界の背景色は「ピンク」ではないか。
私は、そのようなピンクの世界に暮らすことを積極的に拒んでいた。
一体私は、この世界がどうあるべきだと考えていたのだろう。
それは、格好良くあるべきだ、と思っていたのだった。
「カワイイ」で表現される世界を私のまわりに持ち込んだのは妻だった。
「あの服カワイイ」というような、ごく普通に女性が使う「カワイイ」であった。
最初は過敏に反応したことだろう。
しかい幸い、妻の言う「カワイイ」は、ピンクの背景の「カワイイ」ではなかった。
「あれが好き」という程度のことを「カワイイ」という表現だということが分かった。
このようにして私のまわりに「カワイイ」は入り込んできたのだ。
そしてちび達の誕生が「カワイイ」の領域を家庭全体に広げていった。
ちび達は「カワイイ」。
私にとっても、疑う余地無くカワイイ。
ちび達にまつわるさまざまなモノ、服やおもちゃなどもすべて「カワイイ」。
カワイイは日常のあらゆる分野を凄い勢いで塗り替えてしまった。
そうして、「カワイイ」は定着していった。
「カワイイ」がどうこうなんてめんどくさいそんなことどうでもいいや、という歳になったとも言える。
若いうちは、何でも無いことに、こだわったり反抗したりするものだ。
今でもゆずれないこだわりはいくつもあるが、どうでも良いようなこだわりは無くなってゆくばかりのようだ。
反抗にいたってはもはや忘却の彼方だろう。
こんな風に人は歳を重ねてゆくのだね。
このペンギンジャケットのレコードを最初に買ったのは20代中頃だった。
12インチに収められた再発盤だった。
シェリー・マンらしい「マイ・フェア・レディ」のような、ひたすらスウィンギーな内容を期待して買った。
しかし、少々実験的な内容に面食らい、そのまま棚の奥へ直行だった。
「"THE THREE" & "THE TWO"」というタイトルの意味を買ってみてはじめて分かった。
これは、A面が三人、B面は二人で演奏されている。
どちらのサイドともベースプレイヤが参加していないのだった。
A面は、Shelly Manne (ds)、Shorty Rogers (tp)、Jimmy Giuffre (cl,ts,bs)という三人。
B面は、Shelly Manne (ds)、Russ Freeman (p)という二人。
後に、シェリー・マンがインパルスから「234」という名盤を出しているが、これは同じコンセプトな訳だ。
20代中頃の私は「234」という名盤のことも知らなかった。
今回レコード屋さんでみつけた「カワイイ」ペンギンジャケットは、ひとまわり小さな10インチ盤だった。
タイトルも「THE THREE」となっていた。
「THE TWO」の10インチ盤が存在するのか。
どんなジャケットなのか。
私は知らない。
「THE THREE」である、Shelly Manne (ds)、Shorty Rogers (tp)、Jimmy Giuffre (cl,ts,bs)という三人の演奏を久しぶりに聴いた。
10数年前には馴染めなかった少々実験的な演奏も、これが案外良いのだ。
このレコードはリリースされた時からずっとこの演奏が入っていた。
レコードは変わらなくとも、聴く人によって、聴く人の状態によって捉え方は異なる。
こんな風に私は歳を重ねてゆくのだ。