写真を撮るって簡単だ。
カメラを持ってシャッターを押す。
それだけ。
デジタルになっていよいよ写真は簡単になった。
フィルムは不要、撮ったその場で写真をモニターで確認できるし、数百枚数千枚撮っても構わない。
ブレてもボケても気にしない気にならない。
カメラを忘れても携帯電話にカメラがついている。
しかも携帯電話なら撮ったその場で誰かに送信できる。
なんて素敵なことだろう。
写真を撮るのは簡単だけど、面白い写真を撮ることはぜんぜん簡単じゃない。
私が写真を撮るようになったのは大学生の頃だった。
20年も昔だ。
もちろん当時はフィルムの時代。
「写真を撮る」という行為がとびきり格好良く見えた。
鉛筆や筆でのアートとはまったく違う「写真」という表現に憧れた。
露出を計ってシャッタースピードを決めてピントを合わせて撮る。
オートではなく、マニュアルで撮る。
自分で現像して、自分で引き延ばして、自分で焼く。
大学の暗室に出入りする学生を見て自分もそうなりたいと思った。
写真の授業を取って一通りの手順を教わった。
嬉しかった。
一眼レフを手に入れた。
首からカメラをぶらさげて街を歩き、シャッターを押す。
それだけでいっぱしのカメラマンになれたような気がした。
カメラに入ってるのは白黒フィルムなんだぜ。
すれ違う人にそう言いたい衝動に駆られた。
写真を撮っている自分に酔っていた。
写真を撮り始めた頃はそんなカンジで、シャッターを切ること、それ自体が喜びだった。
家族のスナップ写真程度しか見たことの無い目には白黒写真がとても格好良く見えた。
自分で焼いたモノクロームの写真を見て、才能あるかも、なんて思ってた。
写真を撮るという行為に酔っていられたのはほんの短い間だった。
意外とすぐに目が醒めた。
最初は、あれ?というカンジだった。
自分の写真は大した事無いかも、と思いだしたのだ。
シャッターを切った時のイメージと、出来上がった写真の差に気付きだしたのだ。
そしてそのうちには、自分の撮った写真を見てがっかりするようになった。
撮っても撮ってもたいした写真が撮れなくて、自分の写真にあまり期待しなくなっていった。
そのうちマニュアルで撮ることが面倒になった。
露出もシャッタースピードもピント合わせも面倒になった。
一眼レフは重くって持ち歩くのが面倒になった。
コンパクトなカメラを手に入れてオートで撮るようになった。
白黒フィルムはやめて3本パックのカラーフィルムで撮るようになった。
大学を卒業して暗室を使えなくなっていた。
フィルム感度なんて100もあれば十分だった。
身軽に気軽に写真で遊ぶようになった。
ポケットにカメラをつっこんで街に出た。
写真を撮ることがまた楽しくなった。
撮った写真は相変わらず面白くなかったけど、面白がって写真を撮るようになった。
デジタルカメラを手に入れて、ますます写真が楽しくなった。
露出から、シャッタースピードから、ピント合わせから、どんどん制約から解き放たれて自由になっていく。
もはやフィルムからも自由なのだ。
デジタルカメラで撮った写真をPCモニターで見る。
その写真は美しかった。
印画紙では決して味わえない「光」に見とれてしまう。
今でも面白い写真は滅多に撮れない。
がっかりすることがほとんどだ。
けれど、たまに「おや?」って写真が混ざる。
面白いと思った瞬間シャッターを押して、面白い写真が撮れていたならば、それは素敵な体験だ。
私が見つけた面白さが、見る人に伝わると嬉しいのだけれど。