MONOmonologueモノ(物→コレクション)とMONO(モノラルサウンド→レコード)をこよなく愛するオヤジの徒然日記。

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気持ちのよい日曜日の午前 20:21

気持ちのよい日曜日の午前に、珍しく玄関のチャイムが鳴った。
宅配業者だった。
母から荷物が届いたのだった。
荷物伝票の品名欄には「食品他」と記されている。

誰から?とちび達。
ばあばからだよ、と私。
ばあばは何を送ってくれたの?。
きっとコーヒだよ。
どうして分かるの?
だって受け取ったときから少し香っているんだ。

荷物を開けるとコーヒーの香りが部屋に広がった。
「ほんとだ、あたった!」とちび達が喜ぶ。
「ね、言ったとおりでしょ」と私も喜ぶ。

荷物にはマンデリンとグアテマラの2種類が入っていた。
どちらも「苑」のコーヒー豆である。
「苑」とは私の故郷、静岡県藤枝市の市役所近くにある老舗の喫茶店だ。
かつてはジャズのレコードを流していたこともある雰囲気の良いお店だ。
私がお邪魔した10年くらい前には、まだ店の奥にレコードとスピーカーが見えた。
あれは今でも残っているのだろうか。
今度帰省した時には久しぶりに寄ってみよう。

コーヒー豆の他に、イタリアのビスケットと今年分の自家製梅干しが入っていた。
梅干しに目がないちびっ子1号はさっさと一粒口に放り込む。
「スッパ〜イ!」
ちびっ子1号はキューっとした顔で喜んでいる。
その横でちびっ子2号はビスケットを開けている。
ひとくちかじって「あんまり美味しくない…」だって。
向こうのお菓子は味が独特だから、残念だったね(笑)

こちらも早速コーヒーをいただく。
グアテマラを荒めにひくと何とも良い香りがキッチンに広がる。
ドリッパーにセットしお湯を注ぐと、溶岩ドームみたいにコーヒーがむくむくと膨らむ。
いちだんと濃厚な香りが立つ。
カップに注いだコーヒーの色合いがとても美しい。
赤みを帯びた焦げ茶から漆黒へのグラデーションなのだった。

口に含む。
かすかな渋みをたたえた濃厚な味わいだ。
のどを通ると香りを残して渋みはさっと消えてゆく。
美味しい。
これはどんなに暑い日でもホットで頂きたいコーヒーだ。
嬉しい。



以前記事に書いた NAKAYAMA COFFEE STORE は「苑」の息子さんのお店です。
親子2代でそれぞれがコーヒー屋さんって素敵だね。

以前の記事はこちらからどうぞ
2009.03.01 NAKAYAMA COFFEE STORE REVISITED
2006.01.03 NAKAYAMA COFFEE STORE


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ひと筆書きのようなジャケット 10:12

前回「ひと筆書きのような読書」という記事を書きながら、このレコードのこのジャケットを思い出していた。
つまりふとこの「ひと筆書きのようなジャケット」のことが頭に浮かんだのだ。

  DAVID BROMBERG (COLUMBIA C31104)

見るたびに、素敵なジャケットだなあ、と思う。
このレコードの魅力の何割かはこのジャケットによるものではないか、と思う。

ニューヨークのアパート。
柔らかな光に満ちた部屋。
パンとオムレツとフルーツの朝食。
食後のコーヒーの香り。
ギターをつま弾き唄う彼をガールフレンドがスケッチしている。
そんな風景が浮かんでくる。

このジャケットのイラストは「ひと筆書き」ではない(笑)
ひょろひょろとした線がどことなく「ひと筆書き」を思わせるに過ぎない。
均一な黒い線はマーカーで描かれたのだろうか。
さりげないけれど洗練されたタッチである。

「Sarina Bromberg」というサインが読める。
デイヴィッドの奥さんなのだろうか。
家族なのだろうか。
愛情あふれるスケッチである。
描かれているデイヴィッドは微笑んでいるように見える。
いいなあ。

そしてこのレコードには、ボブ・ディランとジョージ・ハリソンが関わっている。
このレコードの次にかけるのはどちらのアルバムにしようか。
あるいはノーマン・ブレイクも久しぶりでいいな、なんてことを考えて、ひと筆書きのような音楽鑑賞がはじまるのだった。
いや、たのしいなァ。


↓ 1分ほどの語りの後で、とてつもなく素晴らしい「FOOL FOR YOU」が聴けます ↓








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ひと筆書きのような読書 22:05

  平野甲賀
  平野甲賀〔装丁〕術・好きな本のかたち(晶文社、1986年)

  津野海太郎
  おかしな時代 『ワンダーランド』と黒テントへの日々(本の雑誌社 2008)

  高平哲郎
  ぼくたちの七〇年代(晶文社、2004年)

こんな本を続けて読むととっても刺激的な読書体験になるのであった。
黄金期の晶文社にいた人たちの回想録である。
面白くない訳ないじゃないか。
あるエピソードが筆者それぞれの視点で語られていたりする。
しりとりのように、というかひと筆書きのようにつながってゆく。
事実はひとつかもしれないが、当事者でも感じ方は人それぞれ。
例えば平野甲賀はこんな風に書く。

(文字の間を)ひところは、もう、めったやたらに詰めまくりました。(中略)
いちばん過激だった時期は、たとえば、丸谷才一さんの「梨のつぶて」の新装本を作ったとき、(中略)
造型的なことだけが気にかかって、いじっているうちに、「才」と「一」が二つの文字ではなく一つの塊になってしまった。この本は結局、出版社からクレームがついて、しぶしぶ文字と文字の間を離しました。

一方、そのことを津野海太郎はこう書いている。

ある日、カンヅメ先の駿河台下の山の上ホテルに著者を訪ねた。装丁案ができたので、それを見てもらいに行ったのだ。
ところが表紙のデザインを見るなり、
「これはこまるよ」
初対面の丸谷才一さんがむっとした顔をした。(中略)
いまはどちらかといえば文字の間をゆるくひろげる傾向がめだつが、当時のデザイナーは逆に、字間をたがいに喰いこむくらいギチギチにせばめたがった。(中略)平野も例外ではなかった。するとどうなるか。丸谷才一の「才」と「一」くっついて「土」みたいになってしまうのだ。
(中略)
やむなく装丁原稿をもちかえり、「ここんとこ、もうすこしひろげられない?」と平野にたのんだ。でも平野も頑固だからね、かんたんには「うん」といってくれない。手もとに原本がないので正確なことはいえないのだが、あれこれ押し問答があったすえに、…(後略)


プライドをかけて「ウン」とは言わない平野甲賀。
「なんとか収めてよ」とおおいに弱る津野海太郎。
私的には、津野氏にシンパシー感じちゃうよなァ(笑)

こんな具合にめっぽう面白いのだ。
植草甚一にはじめて会いに行く話や「ワンダーランド」創刊にまつわるエピソードも津野海太郎、高平哲郎、それぞれの想いがつまっている。
ようするに、黄金期の晶文社の裏話や60〜70年代サブカルチャーの話題が満載なのである。

小野二郎、片岡義男、唐十郎、長田弘、小林信彦、和田誠、横尾忠則といった名前がぽんぽん飛び交う。
この辺の名前にピんと来てしまう方には是非とも手に取ってお読みいただきたい3冊だ。
どれか1冊でも十分に楽しめるが、複数の本が有機的に絡み合うとなるとこれは最高に刺激的な読書となるのである。

読んでいるとじっとり汗をかいてしまうのはこの夏の暑さだけではなさそうだ。
なんてね(笑)

この他にも、私の手もとにはこんな本が控えている。
  平野甲賀 僕の描き文字(みすず書房 2007年)
  高平哲郎 植草さんについて知っていることを話そう(編著、晶文社 2005年)
この暑さ(楽しさ)はしばらく続きそうだ。
わくわくだね。


写真は先日(8/22)の新聞広告である。
晶文社50周年なんだ。
そうか新刊は出ないけどこうやって過去の本でやって行くってそういう話だったね。
晶文社は無くなっちゃったのかと勘違いしてた。



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Brian Wilson Reimagines Gershwin 22:26

HMV渋谷店が今日閉店するというので、最後くらい見ておこうか、とのぞいてきた。
いきなり店の入り口にプレス受付カウンターが設置されている。
店内はそれなりの混み具合であったが、「プレス」という腕章を付けた方々が思いのほか多いのだ。
テレビカメラも数台入っていて、つまりは閉店をきっちりパブリシティに利用しているのだった。
転んでもただじゃ起きないということか。

しかし閉店セールと銘打ってはいるがどのCDがどれだけ値引きされてるか分かりにくいし、新譜の入荷はストップしているし、見切品ワゴンはまったく見所がないじゃないか。
もとよりHMVに思い入れのない私は店内をぐるっと廻ってタワーレコードへ流れてしまった(笑)
ここはひとつ「がんばっていこうとしてる店」のほうを応援しようではないか。
もともと私はタワーレコードのほうが断然好きなのだけどね。

しかし意識が遠くなるくらいの暑さにまいる。
ここ最近は、ちょっと涼しくなったかな、という日もあったが。
気のせいかもしれないけど全体的に渋谷の人通りが少ないような気がした。
なのでいくらか歩きやすかった。

タワーレコードでブライアン・ウィルソンの新作「Brian Wilson Reimagines Gershwin」を買ったら「祝十五周年」なるタオルをいただいた。

ン?
十五周年っていつから15年だ?(笑)

「Brian Wilson Reimagines Gershwin」は素晴らしい。
このみずみずしさは奇跡だ。
昼寝しながらブライアンの多重コーラスを聴きくのはなんという贅沢だろう。
うっかり「素晴らしいミュージカルのようだ。キモチ〜」なんて思ってしまった。

そりゃそうだ、ガーシュウィンの名曲集なんだからね(笑)









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写真を撮る 23:48

写真を撮るって簡単だ。
カメラを持ってシャッターを押す。
それだけ。
デジタルになっていよいよ写真は簡単になった。
フィルムは不要、撮ったその場で写真をモニターで確認できるし、数百枚数千枚撮っても構わない。
ブレてもボケても気にしない気にならない。
カメラを忘れても携帯電話にカメラがついている。
しかも携帯電話なら撮ったその場で誰かに送信できる。
なんて素敵なことだろう。

写真を撮るのは簡単だけど、面白い写真を撮ることはぜんぜん簡単じゃない。

私が写真を撮るようになったのは大学生の頃だった。
20年も昔だ。
もちろん当時はフィルムの時代。
「写真を撮る」という行為がとびきり格好良く見えた。
鉛筆や筆でのアートとはまったく違う「写真」という表現に憧れた。

露出を計ってシャッタースピードを決めてピントを合わせて撮る。
オートではなく、マニュアルで撮る。
自分で現像して、自分で引き延ばして、自分で焼く。
大学の暗室に出入りする学生を見て自分もそうなりたいと思った。
写真の授業を取って一通りの手順を教わった。
嬉しかった。

一眼レフを手に入れた。
首からカメラをぶらさげて街を歩き、シャッターを押す。
それだけでいっぱしのカメラマンになれたような気がした。
カメラに入ってるのは白黒フィルムなんだぜ。
すれ違う人にそう言いたい衝動に駆られた。
写真を撮っている自分に酔っていた。

写真を撮り始めた頃はそんなカンジで、シャッターを切ること、それ自体が喜びだった。
家族のスナップ写真程度しか見たことの無い目には白黒写真がとても格好良く見えた。
自分で焼いたモノクロームの写真を見て、才能あるかも、なんて思ってた。

写真を撮るという行為に酔っていられたのはほんの短い間だった。
意外とすぐに目が醒めた。
最初は、あれ?というカンジだった。
自分の写真は大した事無いかも、と思いだしたのだ。
シャッターを切った時のイメージと、出来上がった写真の差に気付きだしたのだ。
そしてそのうちには、自分の撮った写真を見てがっかりするようになった。
撮っても撮ってもたいした写真が撮れなくて、自分の写真にあまり期待しなくなっていった。

そのうちマニュアルで撮ることが面倒になった。
露出もシャッタースピードもピント合わせも面倒になった。
一眼レフは重くって持ち歩くのが面倒になった。
コンパクトなカメラを手に入れてオートで撮るようになった。
白黒フィルムはやめて3本パックのカラーフィルムで撮るようになった。
大学を卒業して暗室を使えなくなっていた。
フィルム感度なんて100もあれば十分だった。

身軽に気軽に写真で遊ぶようになった。
ポケットにカメラをつっこんで街に出た。
写真を撮ることがまた楽しくなった。
撮った写真は相変わらず面白くなかったけど、面白がって写真を撮るようになった。

デジタルカメラを手に入れて、ますます写真が楽しくなった。
露出から、シャッタースピードから、ピント合わせから、どんどん制約から解き放たれて自由になっていく。
もはやフィルムからも自由なのだ。

デジタルカメラで撮った写真をPCモニターで見る。
その写真は美しかった。
印画紙では決して味わえない「光」に見とれてしまう。

今でも面白い写真は滅多に撮れない。
がっかりすることがほとんどだ。
けれど、たまに「おや?」って写真が混ざる。
面白いと思った瞬間シャッターを押して、面白い写真が撮れていたならば、それは素敵な体験だ。

私が見つけた面白さが、見る人に伝わると嬉しいのだけれど。






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