買う気があった訳ではない。
むしろ買う気などまったく無かった。
「ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008」
書店で手に取ってこの本をぱらぱらと眺めてみた。
それぞれのコーナーに実に小西康陽らしい洒落たタイトルがついている。
「あなたのオーディオ装置は正しく接続されていますか?」
「戦争に反対する唯一の手段は。」
「ぼくが京都のホテルに何日か泊まっていたときのこと」
などなどなど。
少し読んでみる。
短いコラムの中に広がりを持った世界が浮かび上がる。
やるなァ、名人芸だなァ。
もいちど最初から見てみようと開いたページには献辞が書かれた。
杉村詩子に。
背筋にぴんと何かが走った。
この1行に涙が出そうなくらい感動していた。
そして私はこの本を買っていた。
私には思い出されるシーンがある。
それは90年代の後半だったと思う。
一度、小西康陽を見かけたことがあるのだ。
薄曇りの日で、少し肌寒い初夏のことだった。
日が傾きだした頃、駒沢通りと山手通りの交差する辺りを向こうから歩いてきた。
彼は代官山からの道を下ってきたのだ。
彼は視線を落とし難しい顔をしていた。
難しい顔というよりも、呆然と歩いてるというようなただならぬ雰囲気だった。
ぽつりぽつりと雨が降り出していた。
彼はそんなことに気付きもせず歩いていく。
彼とすれ違った。
そして私は彼が一人ではないことに気が付いた。
彼のすぐ後ろを女性が歩いていたのだ。
彼女には表情がなかった。
二人は言葉をかわすこともなく、並ぶこともなく歩いていく。
どんよりとした空の下、寒々しい空の下、雨が降り出した大きな通りを歩いていった。
彼のイメージと私が見たその光景はとてつもなく隔たっていた。
当時、彼はピチカート・ファイヴというグループをやっていた。
東京の音楽シーンは彼を中心に回っているといっても過言ではなかった。
「渋谷系」と呼ばれるムーブメントがあり彼はその中心的存在だったのだ。
古今のポップカルチャーへの愛をキラキラとしたサウンドに仕立て上げ、コンテンポラリー・プロダクションがまばゆいばかりに素敵なコーティングを施していた。
彼とすれ違ったことは大きな驚きだった。
これは好きなミュージシャンを見かけて嬉しいというような無邪気なものではない。
アーティスト「小西康陽」としてではなく、家庭があり、暮らしがあり、生活の中での苦悩があるひとりの人間としてすれ違ってしまったのだ。
彼の極めて私的な生活を垣間見てしまったのだ。
その後、彼は離婚したと聞いた。
すれ違った時に一緒だったのが奥様だったのかも分からないし、二人の間に何があったのかを知りたいとも思わない。
しかし娘さんがひとりいらっしゃるということを聞いていた。
私は、彼と娘さんとの関係が気になっていた。
娘さんの名は「詩子」という。
今では私も父親となり、彼の苦悩を、生活に根ざした苦悩を想像する。
娘と離れて暮らすことを想像する。
これは素敵な本だ。
小西康陽の過去のインタビューやレコード評、映画評、コラム、日記などを集めた「バラエティーブック」である。
もしあなたがポップミュージックや映画、いわゆるサブカルチャーが好きならば手に取ってみることをお薦めする。
タイトルからしてJJ氏そのままだし、カヴァーを外したときのチャーミングさなど本好きにも楽しい作りとなっている。
そしてなにより晶文社への素敵なオマージュだ。
この本に出会えたことを嬉しく思う。
1行の献辞を見ななければおそらく買うことはなかっただろう。
こんな風に本と出会うこともあるのだ。
当然だが私の個人的な話はこの本とは何の関係もない。