MONOmonologueモノ(物→コレクション)とMONO(モノラルサウンド→レコード)をこよなく愛するオヤジの徒然日記。

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じいじの戦争、ばあばの戦争 22:44

子どものころの夏休みは、神奈川県の逗子で過ごすのが恒例だった。
母親の両親、つまり私のじいじとばあばがリタイヤしてそれまでの上野の家を引き払って逗子に住んでいた。
じいじとばあばの家は、鎌倉駅と逗子駅の間にある、丘の上の新興住宅街にあった。
あの家には俳優さんが住んでいる、なんてことを聞いた憶えもある。
高級住宅街とはいわないが、そんな場所だったらしい。
じいじばあばの家から丘をのぼり、てっぺんを越えた向こう側に行くと鎌倉市街が一望できた。
右のほうに鶴岡八幡宮の森が見えて、左のほうがぐるっと海だった。
海の先のほうに江ノ島があって、天気の良い日には富士山が小さく見えた。
鎌倉の花火の夜には、このくだり坂にはぎっしり人が詰めかけた。

その丘をくだって中学校の横を通ってお寺の脇をすり抜けると海水浴場がある。
「材木座海岸」という。
ダサイ名前だなあと思っていた。
ザイモクザというところがなんとも田舎くさい響きに思われた。
ズシという地名も私にとってはマイナーで、学校の友達には「鎌倉のほうへ家族でいく」と言っていた。
きっと逗子なんて知らないだろう、と。

逗子での一日はこんな感じだった。
朝ごはんを食べたら歩いて海へ。
午前中いっぱい海で遊び、いちど帰ってお昼を食べ、そのあと昼寝して、また三時くらいから海で遊ぶ。
帰ってお風呂に入って、晩ご飯を5時半くらいに食べたらばたんきゅう。
そんな風に夏の数日間を逗子で過ごしていた。

やけど並みに真っ赤に日焼けしたものだった。
夜、背中がじんじんして眠れなくて腹這いになって寝た。
数日の後、だんだん痒くなってきてそのうちちいさな水ぶくれができてくる。
水が抜けると今度は皮がむけてくる。
風呂上がりなどピーっと皮をむいたものだ。
その頃には全身きれいに日焼けしていた。

海へ行く下りの山肌には穴がいくつもあいていた。
穴は縦横1.5メートルくらいの大きさだった。
そんな穴が10メートルおきに1つくらい、多いところでは数メートル間隔であった。
穴のほとんどは入り口がふさがれていた。
ときどきそのまま穴があいているところもあったが、そんな穴には材木などがぎっしり積め込まれていた。
中がどんな風になっているか興味津々だったが、奥の方は暗くてうかがいしれなかった。
いつ崩れるか分からないから入っちゃダメだよ、ときつく言われた。
遊びに入って閉じ込められた子もいた、なんて言っていたけれど、あれは方便だったと今は思う。

「あれは防空壕だよ」
海からの帰り道、ばあばがそう教えてくれた。
「戦争のころ、アメリカの飛行機が飛んできてこの辺にも爆弾を落としたんだ。この辺の人はあの穴に入って隠れたんだって」
戦争は、白黒の映像でしか知らない世界だった。
その映像に音はついていなかった。
「ばあばはそのころ東京に住んでいて、あなたお母さんはまだ赤ちゃんで、東京にもたくさん爆弾を落とされて大変だったんだよ」
ばあばは戦争を東京で体験していた。

逗子に行くお盆の頃には、テレビでも新聞でも戦争の特集をたくさんやっていた。
ご飯のときにじいじはときどき戦争の話をした。
じいじが戦争の話をするのはいつも夜だった。
朝や昼、明るい時間に聞いたおぼえがない。

はげ上がったじいじのあたまの、おでこの上のあたりには、はっきり分かるくぼみがあった。
「ここんとこに爆弾のカケラがささってね、頭の骨がわれちゃたんだ」
けがのせいで助かった、とじいじは言った。
戦局が悪化する中、頭に大けがをしたので無事戻ってくることができたのだ。
あのまま怪我をしなかったら大和や武蔵に乗ってたかもしれないな、とぼそっとこぼしていた。
じいじは海軍にいた。
上官がとにかく怖かったそうだ。
「案外軍隊では自殺者が多くてね、敵と戦う前に死んじゃう人も多かった」

逗子での夏の記憶は、戦争と分ちがたく結びついている。
普段見慣れたものも、逗子ではいつもと違う影をもっていた。
強い日差し、真っ青な空、入道雲、蝉の鳴き声。
そんなすべてが特別な影を持っていた。
古い時代、戦争の時代につながるような非日常的なものも逗子にはたくさんあった。
冷たい井戸水、羽釜で炊いたごはん、薪で沸かした風呂。
逗子の家には、普通の風呂とともに土間に薪風呂があった。
かまどはさすがになかったが、ガス台に羽釜を載せて炊いていた。
そんなささいことも戦争時代につながるものとして私の中に記憶されている。
そういえば、湘南サナトリウム、というバス停が近くにあった。
街への行き帰りはこのバス停を利用した。
結核の療養所だったと説明されても結核を知らなかった。
不治の病だったんだと言われれば、それもまた恐ろしいのだった。
バス停からは、生い茂る森しか見えなかったし、サナトリウムという言葉の響きもなんだか怖かった。
逗子マリーナも近くにあったが、そのまわりだけは不思議に立派で南国風だった。
白亜のマンションが海辺にそびえていた。
まわりには柵が張り巡らされてはいることができなかった。
柵の向こうにはプールがあって、ヨットが停泊していて、そこには戦争の影は一切感じられなかった。
その中へは入れないんだよ、とじいじは言った。

じいじと一緒に薪風呂の湯を沸かす手伝いをしたことを覚えている。
薪割りをして火をつけて、「湯加減いかがですかァ?」と入っている人に声をかけた。
こどもにはそれもじゅうぶんに遊びだった。
もちろん自分も薪の風呂に入った。
湯がかなり熱くなっていて、ぬるくしてとお願いしても、そんなことしたら沸かしなおさなきゃいけないんだよ、とうめてはくれなかった。

じいじは趣味人だった。
家を囲む石垣は大谷石で、コンクリート打ちっぱなしの平屋だった。
庭にはじいじの手づくりの池があって、立派なコイが泳いでいた。
家の玄関を入ると、じいじばあばんち独特のにおいがした。
家のどこにいても、日のあたらない影の部分があるようで不思議な印象の家だった。
この逗子の家はじいじが亡くなってしばらくして処分されてしまった。
あの家は壊されてもうない。


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