MONOmonologueモノ(物→コレクション)とMONO(モノラルサウンド→レコード)をこよなく愛するオヤジの徒然日記。

| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE |
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

MONO商店入口

WEBショップ「MONO商店」は小さなお店です
音楽が大好きなあなたへ
もっと音楽を楽しむための
ささやかなMONO(モノ)をお届けします
>>上の画像をクリックしてください<<

| - | - | - | posted by スポンサードリンク
JJさんがやってきた 09:24

植草甚一さんは特別な存在だ。
私の、ひとつ上の世代が憧れた粋人である。
つまり、小西康陽さん、坪内祐三さんといった人をとおして私は植草甚一さんを知った、ということだ。
植草甚一さんは、昭和54年(79年)に亡くなっている。
それは、私が小学校3年か4年のころだ。
植草甚一さんの存在に、文章でもテレビでもラジオでも、直接触れたことはない。

植草甚一さんを描いた評伝や雑誌の特集が好きだ。
正直に言えば、本人の作品よりずっと好きだ。
タイトルにひかれて何冊かトライしたものの、読み切った作品はたぶん無い(笑)。
でも、タイトルが魅力的で、装丁が素晴らしくって、本棚に並ぶと嬉しい背表紙の本なのだ。

11月の南部古書会館での古書市には、何冊も彼の本が並んでいた。
サイン本が何冊かあった。
木島始さんへの献呈署名入りという、ため息もののお宝も混じっていた。
晶文社の植草甚一スクラップブックもずらりと並んでいた。
私はとびきりリーズナブルな値段のサイン本を一冊頂いてきた。
嬉しい。


JUGEMテーマ:気になる書籍
MONO商店入口

WEBショップ「MONO商店」は小さなお店です
音楽が大好きなあなたへ
もっと音楽を楽しむための
ささやかなMONO(モノ)をお届けします
>>上の画像をクリックしてください<<

| BOOKS (AUTOGRAPHED) | comments(4) | trackbacks(0) | posted by mono-mono
三軒茶屋で見つけたもの 14:31

ある日、三軒茶屋で見つけて買ったもの3点。

<左から右へ>
サヨナラCOLOR  SUPER BUTTER DOG
吾輩は猫なのだ  赤塚不二夫
丘の上のパンク  川勝正幸 編著

「丘の上のパンク」は以前図書館で借りて読んでいた。
副題は「時代をエディットする男・藤原ヒロシ半生記」とあるとおり、藤原ヒロシの足跡を周辺人脈の証言によって浮かびあがらせるというもの。
これを書くにあたって川勝正幸は、「イーディ 60年代のヒロイン」「ケルアック」といったアメリカのオーラルバイオグラフィを参考にしたそうだ。
なるほど。
藤原ヒロシは、いわゆる「ウラハラ」においてもっとも尊敬されるマルチクリエイターである。
著者の川勝正幸は、2012年に自宅火災によって急折したサブカルチャー系ライター、編集者である。
(川勝正幸の「ポップ中毒者の手記」文庫版あとがきでの小泉今日子の追悼文は必読である)

例えばこの本は、こんな証言の積み重ねでできている。

ヒロシくんがロンドンのクラブ・カルチャーの大事な精神をちゃんとつかんで帰ってきて、それを自分なりの方法でーー世間的に言えば裏原宿と呼ばれるシーンになるのかもしれないけれどーー形にしたという意味では、他に例がないと思う。これまでにもかっこいい音楽を作ったミュージシャンはたくさんいるけれども、「こういうかっこいい生き方もできるんだよ」って実際に見せてくれた人はそういないんじゃないかな。僕らの世代はさっさとそういうことができずに、日本のムラ社会独特の派閥なんかに足を引っ張られて、大きなひとつの力になれなかった。だから、ヒロシくんがひょうひょうとやってのけたのを、横目で羨ましく見ていましたね。
桑原茂一(クラブキング主宰)


編著者である川勝正幸はきっと、90年代から00年代の東京ストリートカルチャーの総括を藤原ヒロシを通してやりたかったのだろう。
川勝正幸は、藤原ヒロシより一世代上だが、藤原ヒロシたちの活動を伝えていたのは川勝正幸世代の編集者たちなのだ。
藤原ヒロシは90年代からのストリートシーンの象徴的存在である。
私は彼らを見て育った。
つまり川勝正幸たちが作った雑誌を通して藤原ヒロシたちを見ていたのだ。

この本で語られる時代は、私の青春ともがっつりとかぶってくる。
私は直接的に藤原ヒロシに憧れたことはいちども無いが、彼のそのときどきの動きは常に気になっていた。
そんな存在である。

川勝正幸   (1956年生まれ)
藤原ヒロシ  (1964年生まれ)
mono-mono(1969年生まれ)


2冊の本に3人のサインが入っていて、そのうち2人は亡くなっている。
サインだけじゃなくてニャロメもいるし、ナンシー関の作品である川勝さんスタンプも押してある!
ナンシー関もすでに亡き人である…。
同じ日にこれらを買ったなんてにわかには信じがたい。

そして「サヨナラCOLOR」のオリジナルCDシングルだもの。
「サヨナラから はじまることが たくさんあるんだよ」と永積タカシは歌うのだ。
これは5曲入りのCDシングルだが、ほぼSUPER BUTTER DOGのベストでお得。






JUGEMテーマ:No Music, No Life

MONO商店入口

WEBショップ「MONO商店」は小さなお店です
音楽が大好きなあなたへ
もっと音楽を楽しむための
ささやかなMONO(モノ)をお届けします
>>上の画像をクリックしてください<<

| BOOKS (AUTOGRAPHED) | comments(0) | trackbacks(0) | posted by mono-mono
気が付けば4月 13:23

気が付けば4月。
気が付けば娘は中学生で息子は5年生。
気が付けば東京の桜はすでに散っていた。
気が付けばコートもセーターも必要のない暖かさ。
あっという間に一日が過ぎていく。
流れていく。

そんな中でもぼちぼちレコード屋にも古本屋にも行っている。
このカバー付きの本にサインを見つけたときは、心の中でガッツポーズだよね。

例えばこの本にはこんなことが書いてある。


天使が私の背広をみている。
背広の襟をみている。
やがて、何かがわかったらしく、その顔が輝く。

これ、大事なの?

と、社章を指して云った。




JUGEMテーマ:読書
MONO商店入口

WEBショップ「MONO商店」は小さなお店です
音楽が大好きなあなたへ
もっと音楽を楽しむための
ささやかなMONO(モノ)をお届けします
>>上の画像をクリックしてください<<

| BOOKS (AUTOGRAPHED) | comments(0) | trackbacks(0) | posted by mono-mono
ときどきこういうことが起こる 09:55

一日の仕事が終わった。
今日もまたそれなりの日だったなあと思いながら、私は帰りの電車に乗っていた。
窓の向こうを夜の暗闇が流れていく。
家にも街灯にも明かりが灯っているのを、つり革ごしにぼんやりと眺めていた。
私の前の座席に座っているスーツ姿の若い女性が、スマートフォンの画面をものすごい速さでたたいている。
両手の人差し指をピンと伸ばして画面をタップし続ける。
私は何だか疲れていた。
それはいつもと同じような帰り道だった。

それなりに混んだ電車が、名前だけお馴染みの駅をつぎつぎと進んでいく。
電車が止まって扉が開いて、人が降りて乗って、扉が閉まって再び走り出す。
毎日通過して、駅名は知っていても、決して降りることの無い駅だ。
その駅を利用する人たちをぼんやりと私は眺めている。
仕事で通う人、用事でたまたま来た人、住んでいる人。
数えきれない人がいて、それぞれの人生がある。

その路線の途中に、古本屋を見つけていた。
車窓から派手な黄色の看板に気付いたのだ。
あの店は、駅から5分くらいの距離だろうか。
あれは、たしか、次の駅だったのではないか。
降りてみよう。

その駅は、片方のホームにしか改札口がなかった。
駅から出るには、反対のホームへ橋を渡って行く必要があった。
通過するだけの駅のことは、そんなことも知らないのだった。

小さな駅だった。
駅前には、一列ぱらぱらとお店がある程度のさみしさだった。
その先はすぐにくらい道で、街灯がぽつりぽつりと伸びていた。
街灯の伸びるその先に古本屋が見えた。
黄色地に赤いゴシック体で店名が書かれた大きな看板が夜道にまぶしかった。
それは郊外にあるような、いわゆる新古書店だ。

店に入る。
思っていたよりずっと広い店だった。
漫画がずらっと棚に並んでいた。
奥にはゲームソフトやCD、DVDが見える。
さっとフロアを一周してみたが文芸書がまったく無い。
そういう店かとがっかりして出ようとしたときに、二階があることに気付いた。
「文芸書、文庫本はこちら」とあった。

一階と同じ広さに文庫や単行本、雑誌のバックナンバーが並んでいた。
帯のついた本が多く、手入れの行き届いた棚は新刊書店のようにも見えた。
本を手に取ってみれば確かに古本なのだが。
一通り眺めたが目ぼしい本は見つからなかった。
まあこんなもんだ、と帰ろうとしたとき、平置きされた本の表紙が目に入った。

それは、私のバックに入っているのと同じ本だった。
中村文則の「悪と仮面のルール」だった。
中村文則は気になる作家だが、表紙のイラストもデザインも私の好みではなく、それゆえなかなか読む気にならず、ようやく図書館で借りてきてその朝から読みだした本だった。
手に取ってみた。
表紙を開くと、そこには薄い白い紙がはさまっていた。
めくってみると、そこにはやはり著者の署名が書かれていた。

本当に不思議だ。
ちいさな偶然が重なって、たまたま私はそこに居合わせた。
いつもなら通り過ぎる駅に、その日に限ってなぜか電車を降りた。
知らない街のはじめての古本屋へ行くと、図書館で借りて読みはじめたばかりの本が平置きされていた。
その本には作者のサインが入っていた。

ときどきこういうことが起こる。
なぜこれが私のところに?という、モノとの出会いがある。
この本が私のことを呼んでいたのではないか、と思えてならない。



JUGEMテーマ:気になる書籍
MONO商店入口

WEBショップ「MONO商店」は小さなお店です
音楽が大好きなあなたへ
もっと音楽を楽しむための
ささやかなMONO(モノ)をお届けします
>>上の画像をクリックしてください<<

| BOOKS (AUTOGRAPHED) | comments(0) | trackbacks(0) | posted by mono-mono
なんのためにそれはそこにあるのだろう? 14:30

暇さえあればレコード屋へ行きお金があればレコードを買う、そんな生活を30年も続けていると、結構な数のレコードがたまる。
この家に引越したとき天井まであるレコード棚を、自分で図面を引いて作ったのだけれど、その時点ですべては入りきらなかった。
収まりきらないレコードは、床に置かれたりダンボールに詰めて収納された。
レコードを処分することもたまにあるがごくわずかだ。
処分するといっても燃えないゴミに出すわけではない。
誰かに差し上げるのだ。
つまり、日々確実に増えている。

それだけのレコードがあると、聴くレコードと聴かないレコードに大別されてくる。
聴かないレコードの中にはほとんど存在すら忘れられてしまうものも出てくる。
たまにレコード棚を眺めて見ると意外な発見があったりする。
こんなレコード持ってたんだ、という発見である。

持ってることは覚えていても、内容をすぐにイメージできないレコードがある。
それはもうかなりの確率であり割合である。
手持ちのレコードのうち、すぐに内容を思い出せるもののほうがレアケースに思える。
もったいないもったいない。

同じことを本でも考えてみよう。
面白かった本、つまらなかった本、読み通せなかった本…。
そんな記憶はあっても、詳細に思い出せる本となるとこれまたレアケースである。
大いに楽しんだ小説だって断片的なエピソードをいくつか思い出せる程度である。
で、どんな話だったっけ、結末は??

手元に残している本のうち、読み返すのはどのくらいだろう。
本棚に並ぶ大半は、おそらく読み返さないだろうと思いながら処分できないままとなる。
そして本棚もすでにいっぱいである。
読んだ本はしばらく積み上げてからエイヤと心を決める。
そして本はレコードとは違ってゴミとして処分することもある。
紙ゴミの日に出せばおそらく再生されることだろう。
リサイクルリサイクル。

もちろんこんな風にサインなんかが入っている本は対象外である。
フフフ。






JUGEMテーマ:気になる書籍
MONO商店入口

WEBショップ「MONO商店」は小さなお店です
音楽が大好きなあなたへ
もっと音楽を楽しむための
ささやかなMONO(モノ)をお届けします
>>上の画像をクリックしてください<<

| BOOKS (AUTOGRAPHED) | comments(5) | trackbacks(0) | posted by mono-mono
| 1/7 | >>