そのメダカがいつわが家にきたのか、家族の誰も思い出せない。
妻の実家から5、6匹のメダカをもらったのが、2年前だったか、3年前だったか、あるいは5年前だったか。
1匹2匹と死んでしまい、最後に残った1匹が驚くほど長く生きた。
その最後の1匹を、娘が「メダちゃん」と名付けて、それからみんながそう呼ぶようになった。
何匹もメダカがいた頃、それぞれのメダカに名前はなかった。
どれがどのメダカなのか見分けがつかなかったからだろう。
1匹残ったメダカは「メダちゃん」と呼ばれ、わが家の一員となった。
毎朝の餌やりがチビ達にいいつけられた仕事だった。
妻が「エサあげた?」と言うと、チビ達が慌ててエサをあげる。
それが朝の恒例行事となった。
その朝も、妻に言われた息子がエサをあげようとしたのだった。
息子は、キッチンカウンターの上にある水槽に手が届かない。
エサやりのため、ダイニングの椅子をキッチンカウンターに動かす必要がある。
12月の寒い朝だった。
テレビの天気予報では、その冬一番の寒さだと伝えていた。
ダイニングテーブルで新聞を読んでいた妻が、いつもとは違う息子の声を聞いた。
エサをあげようと水槽をのぞいた息子が泣き出したのだ。
「えーん」と漫画の吹き出しような泣き声だった。
メダちゃんが死んじゃった、と言って息子は泣いた。
メダカが膨らんだ白い腹を見せて水面に浮かんでいた。
椅子の上にのって、キッチンカウンターの上の水槽をのぞき込みながら「えーん」と泣いていた。
私は昼休みにその顛末をメールで知った。
そうかメダちゃんは死んじゃったか。
息子が「えーん」と泣くところにいられたらよかった。
夜、家に帰ってみるとキッチンカウンターの水槽があったところに、まるめたティッシュが置かれていた。
妻にきくと、メダちゃんがくるまれているという。
リヴィングに行き、テレビを見ている息子に、明日の朝庭に埋めてあげようね、と声をかけた。
「え」と息子。
「メダちゃんならもう埋めた」と言った。
キッチンにティッシュにくるまれていたけれど、と私がいうと、あああそこから出して埋めてあげた、とのこと。
すでに、朝のうちに自分だけでお別れをしたのだった。
「悲しかった?」と私がきくと、「うん、まあ…」と息子は横をむいた。
一人で埋めてあげるのはいいけど、と私。
ティッシュは捨てとこうね(笑)。
<
かつて息子とメダカに関してこんな記事を書いていた>