私の母は、父親を知らない。
母の生まれてすぐに兵隊にとられて南洋で戦死した。
彼は、グラフィックデザイナーでイラストレーターだった。
父親の作品も、思い出の品も、ほとんどが失われた。
上野にあった家は空襲で焼けた。
母の手元に何も残されていない。
私には「じいじ」がいた。
幼いころ、夏は、逗子に暮らすじいじとばあばの家で過ごすのが恒例だった。
海水浴の帰り道、防空壕がたくさん残っていた。
夜になると、じいじは戦争の話をした。
海軍での生活、上官のキビシさ、頭に大けがをして結果として命が助かったこと。
私の夏の記憶は、じいじと逗子と戦争につながっている。
「じいじ」が祖父ではないことを知ったのはずっとあとのことだ。
「じいじ」は「祖父の弟」だった。
祖父が戦争に行って亡くなったことも、私が大人になってから知った。
私は、母の父親、つまりほんとうの祖父を知らない。
私がちいさなころ、母も祖母も、戦争について語ることはほどんどなかった。
ふたりが祖父について語ったことも無かったと思う。
私が大人になってから、祖母がなにかの拍子にぽつり祖父について話してくれることがあった。
テレビでベーブ・ルースが話題になった際などに、そういえばあなたのおじいちゃんはサインボールをもらってきたんだけど空襲で焼けちゃったわ、などと。
父親が亡くなったとき、三歳だった母には、そんな思い出さえもないのだ。
数年前のことだ。
私が靖国神社を訪れたという話しをしたときのことだ。
母は、私のことばをさえぎって、その話は聞きたくない、と強い口調で言った。